墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

2018-01-01から1年間の記事一覧

年の終わりと終わらぬ時と

また一年が終わります。流るる季節はその残り香だけを心に染み付かせて僕の上を通り過ぎてゆきます。宝石のような寒空に凍えた手が陽気な春一番に芯まで溶かされて、眩しさの下で滴り落ちる汗の粒は色づく葉の上に朝露を落とし、そしてまた──。 ぼくは自分が…

白昼夢

十数時間寝た。ときおり何回か連絡を返したりしたという記憶はあって、それがいつだかぼんやりと溶けていく。昨日の夜、いつどのように蒲団にもぐりこんだのか、とか、何かやらないといけないことがあったような、とか、さっきみたはずの夢と同じように流れ…

血の軛

父は僕を偏愛した。末っ子として、三度目ではじめて得た同性の子として、そしておそらくは教育に成功した子として。父は人格者だったから、傍観者が一瞥するだけでは周囲への愛情の降り注ぎ方と僕に対するそれとの間で見分けがつかなかったかもしれない。し…

人生、一瞬の夢、ゴム風船

ふと気が付くと自分が生きているということを忘れて生きている。自らの生に気付かずに過ごす生が一番幸せな、もしくはこの曖昧な言葉をより具体的に言い換えればもっとも心の安定した状態であるということは、おそらく誰もが勘付いている。空気の存在や呼吸…

夢と現のアポリア

季節の変わり目だからか、衰えた体力のせいか、定かではないが、生活的には全く寝不足でないときに夕方とつぜん眠くなって、そのまま睡魔に身を委ねてしまうことがよくある。日本では毎日毎日季節が曖昧に変わりゆくようなものだから、おそらくこのへなちょ…

すばひび日記3:語りきれぬものを語りつづける

この記事は前回の記事の続き。 予鈴 再び幕を開ける本鈴の鳴り響く前に一つお喋りを済ませておこう。 先日、前回までの記事を読んでくれた聡明な友人から「記事の方向性が少し不鮮明かも」という指摘を得た。再度フレッシュな視点で初めから読み返してみると…

すばひび日記2:語られざるべきものを語りあかす

この記事は前回の記事の続き。 再開 第一章では登場人物たちの目を通じて「世界」を見て、そして心を通じてその向き合い方を了解してきた(ということにしておく)が、第二章、第三章ではより感性的な概念である「幸福」、「素晴らしき日々」を感じ取っていき…

すばひび日記1:語りえなかったものを語りなおす

謝辞 元々この場は自分のこころを書き留める為の備忘録であったはずなのに、今となっては筆不精もあり色鮮やかなイメージが身体中から奈落へとぽろぽろ零れ落ちていくのをアーと口を開けながら眺めるばかり。思えば、近頃はネクラなオタクの反省会を実況中継…

八月十日

群れた大衆の蒸れた体臭が黄褐色の霧となって鼻腔に粘りつく。突き抜ける晴天の中心を飾る白い業火は燦燦と輝き、オタク達の頭蓋を中身ともども焦がし尽す。ここは真夏の東京ビッグサイト西ホール4階、第94回コミックマーケットの企業ブース、物欲と優越欲…

メビウスの輪の上で

「あの時の自分は結構良かった」と「あの時こうすりゃ良かった」はまったく矛盾しない。悔しくなるほどに矛盾せずに、感情だけが勝手に和解してお互いに手を組んで、今度は自分のことを襲ってくる。実際は完璧を目指すだけの根気も度胸も機会もないにもかか…

図書館での一日

図書館にいる。大学の、でっかい、図書館にいる。この図書館に、いかほどの歴史があるのか判然とは分からないが、無駄に構造が入り組んで、贅沢な敷地の遣い方をしていて、高い天井を見上げても長い壁を眺めても、素人目にも分かるくらいの意匠がこらされて…

作品語りと自分語り

読解も解題も中途半端な、あまり他人想いではない、専ら自分のための感想文を三つと、ぼやきを一つ。 ・『居酒屋』(新潮文庫、著:エミール・ゾラ、訳:古賀照一) 文学史的には自然主義文学を日本に齎し、田山花袋や島崎藤村あたりを通じて文壇に多大な影響…

本心の耐えられない軽さ

「お前、最近勝手に喋りすぎじゃないか」自問自答の囁きはゼロ距離で訪れる。 僕の頭の中は元来結構お喋りで、というのもガチャコンと自他の言動を刻んでは体系という抽斗に詰め込むための質疑応答を繰り返すからなのだが、ある日気付いたのは、これはいわゆ…

自我的対称性の破れ

鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。そう妃が鏡に問いかけると、鏡は答える。世界で一番美しいのは貴方です。妃はその答えに満足する。白雪姫が成長して美しくなったある日、再び妃は問いかける。鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。すると、鏡はこう答えた。世…

語り部の永遠の不在

ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りかこまれて生きており、自分に起こるすべ…

コミュ省というものぐさ病

人生観という厳めしい名をつけて然るべきものを、もし彼がもっているとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であった。微笑して過ぎる事であった。何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて…

墓の中にて死を綴る

回想 たまたまとある法医学教室で一ヶ月間司法解剖やら行政解剖やらのお手伝いをさせてもらったときの話。 朝、解剖室に入ると、死体がある。特に何も感じない。今日はちょっと臭いなぁと思いながらも四肢を捌き胸と腹をかっさき脳を取り出す。臓器のことだ…

あるオタクの進展告白

今晩、というかつい数時間前、十年ぶりに生家を訪れてきた。 生家、というのは少し誇張かもしれないが、僕が物心ついたときには既に暮らしていた場所で、十年前に今の実家に引っ越すまで長らく住んでいた場所で、そしてきちんと家族の一員として生きていた思…

あるオタクの心裡告白

本当は本当に、生きているのが耐えがたかった。ある日劇場で映画を見てから、生きる意味を見失って、生きていく気が段々と薄れていって、積極的に死にたいとは思わなかったが、仮に今自分の目の前に死があったとしてもそれはそれで楽だし構わないと思ってし…

あるオタクの信仰告白

一昨々日。「さよ朝見てきた」という言葉を何度か目にして、見た人のメンツ的に多分アニメ映画なんだろうなそういえば2月上旬くらいに広告を見かけたっけと思いながら、検索エンジンに文字列を打ち込む。正式名称は「さよならの朝に約束の花をかざろう」らし…

はじめに言葉ありき 言葉は形と共にあり 言葉は形であった

人はみな、無意識のうちに自分の”形式”に依存して生きている。それは例えば、学歴・資格・業績といった社会的地位であったり、よりミクロなレベルでは契約関係・交友関係・親族関係・婚姻関係であったりする。「自分はかつて〇〇大を卒業して□□を成し遂げた…