墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

3.33333333333333……≠4.0

saize-lw.hatenablog.com

 

まったく本当に優れた評論を書くなぁと思った。シンエヴァについて少なくとも僕が思っていたことなどは書き尽くされているようで、心地良かった。とても良く書かれているので、唆されて、ぼくも感想というものを自分の言葉で記してみたくなった。
 あらかじめ要約しておくと、立ち位置としては、上の記事でも触れられていた「『シンエヴァ𝄇』の上映を受けて初めて新劇場版の序破Qをまとめて見てから映画館に向かうような人間」の具体例、つまりシンエヴァをそこまで楽しめなかった新参者の感想。
 しかし、思惟の深さに差はあれども、同様の解釈をしているにもかかわらず、置かれた環境によって、感情に温度差が現れてくるのは、興味深い。やはり作品との出会いは偉大で、時にはその人の人生を変えうる(あるいは変えない)ということを、再認識できて、少し元気になる。

 

さて、ぼくにおけるエヴァンゲリオンの歴史は浅い。たしか4年くらい前にTVシリーズと旧劇場版を観て、2年くらい経ってからもう一回観て、それからシンエヴァが公開されるタイミングで新劇場版の序破Qを一気に観て(どこかで見たような字面)、そして観終わった翌日には映画館で終劇と相成った。
 まあ、このような遍歴を辿ったぼくの第一の感想は、「平凡だけど正解!!」ではなく、「正解だけど平凡……」になってしまうよね。だって、あまりにも歴史が浅いから。エヴァについての論評が一通りされ、新劇場版も残り最終章だけという状態に迫ってから、過去の作品として旧エヴァを観始めて、何となくハマって、それから数年後のある日、最終章が公開されたからという理由だけで新劇場版を観始めたら、なんかいつの間にか14年経っていて、ヤバいくらいに関係性が変わっていて、人造人間が塵芥のように大量生産されるようになって、「あ、これ過去の全てをパロディ化した、本人による同人作品だ」と気付く頃には、全ての問題が機械的にスルスルと解決していって、胸の大きい良い女と手を繋ぎ宇部の街へ去ってゆくシンジ君の後ろ姿を見て、One Last Kissが流れ、終劇。
 新劇場版の制作が決まったタイミングで、既にキャラクター(ほぼ)全員の成長、過去の確執からの解放、凡庸な現実への帰還は確約されていたわけだから、模範解答となる出来だった。以前もどこかで言った記憶があるけれど、謎かけっぱなしでアンチ大団円的な終幕は人の心を刺す魔力を持ち合わせる一方で、物語の作り方としては王道から外れた行為だから、エヴァを制作した庵野監督は、どこかズルをしてしまった罪悪感らしきものを感じていたのだろうと思っている。しかもそれで有名になって、「あのエヴァの」という冠言葉を付けられるようにまでなってしまった身としては、つねに後ろ指を指されているような感覚があったかもしれない。新劇場版を作ろうと思ったのは、視聴者のエヴァを終わらせるだけでなく、監督自身のエヴァを新しい形(≒大団円)を以て終わらせたかったのだろう。
 ということは、ぼくの第二の感想は「エヴァが、終わった……」ではなく「みんなエヴァを終わらせたかったんだね」になってしまうよね。だって、あまりにも歴史が浅いから。個々人の中では既に終わりを迎えていたエヴァという体験にそれでももしかしたらまだ終わっていないのかもしれないという一抹の不安や期待を残していたエヴァという体験に、制作側と視聴者側が共犯となって「終劇」という共通認識を与えることによって、みんなようやく解放される。でも、その「みんな」に、はじめから囚われていない新参者のぼく(たち)は含まれない。ちなみに、ぼくは自分を含めて三人で観に行ったけれど、残り二人は古参だったから、終劇という事実に大変深い感慨を覚えている様子だった。(この文における「から」の因果関係はかなり強いと思う。)今後、新劇場版さえも過去の作品となったとき、後世のオタクたちがどのような評価を下すのか、興味が湧いてくる。

 

シンエヴァを観終わって少し経ったとき、なんだか置いてきぼりにされた感覚があった。これは一体何から置いてきぼりにされたんだろうと考えたとき、まず最初に思ったのは、同じウジウジ仲間としてのシンジ君たちが精神的に成長してしまったせいではないかということだった。しかし、これはどうやら違ったようだ。自分はたしかにウジウジ悩むことが多くて、それを趣味とする傾向さえあるが、でもやっぱりその葛藤は自分の人生とある程度隔てられていて、シンジ君たちのように人生を巻き込むような一世一代のウジウジは遙か昔に置いてきている。
 じゃあ、エヴァの膨大な風呂敷がトントン拍子で畳まれてゆくさまに、置いてきぼりにされたんだろうか。これも違うような気がする。とここまで考えて、ようやく分かった。ぼくは、なんだか騒ぎの大きいところに行ったら、エヴァとかいう面白いものに出会って、みんなと似たように楽しんでいたと思っていたとき、あるときシンエヴァが現れて、またみんなを違うところへ連れて行ってしまい、そこにまだ佇んで離れられない人間として、今度はみんなから眺められているような気分だったのだ。本当は、はじめからみんなと同じところにはいなかったはずなのに。
 だから、第三の感想は冒頭に述べた通り。作品との出会いには時機がある。