墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

ことばの共同墓地

3月16日21時47分

 顔を上げると、目の前にいる店員が、首を傾げながら不機嫌そうにこちらを見つめている。しまった何を訊かれたんだろう。いまさら耳栓代わりのイヤホンを外し、「あ、大丈夫です」と苦笑交じりに答える。一体何が大丈夫だったんだろう。店員は仏頂面でまた商品をレジ袋に詰める。ぼくはまたイヤホンを耳に詰める。温めは?結構です。あ、クレジットカードでお願いします。あとは何だっけ?店員がレジ袋の把手をこちらに向けて渡す。ぼくはおそらく向こうには気付かれていない程度に頭を少し下げて、それを受け取って立ち去る。3月なのに、外はまだ寒い。
 やっぱりごはんをきちんと食べないと気分が良くならない。部屋にある有り余りのもので、なんとか夕方まで食いつないだけれど、腹の虫に降参してようやく部屋の外に出た。これ以上我慢してももっと部屋の外に出る気力がなくなるだけだ。
 イヤホンからはたぶん現実を窮屈に感じる女の子が憂いを叫んでいるような曲が流れている。結局救いなんだ。人が欲しがっているのは。今も昔も。でも、意味過剰の世界で、これ以上何が得られるんだろう。全ての行動や思想にあまねく意味が与えられた世界で、救いにさえも意味が求められる世界で、ぼくたちはそれでも意味を求めるんだろうか。無意味という言葉が否定の意味を帯びたのはいつからなのだろう。海と溶け合う太陽や静かな雪の音色がまだ意味を持たなかった頃、ぼくたちはきっと世界の一部だった。今それらに感じるこの気持ちは、なけなしの残滓に過ぎない。すべてに意味がある。意味を否定したところで、そこに意味が発生する。有意味か無意味かという軸が一度出来上がったら、二度と逃げられない。意味の中に溺れてゆく。かといって、一度意味の大海から掬い上げられて真っ白な大地に立たされて、思う存分無意味を愉しんだら、また過度の情報の中に自分を沈めたくなる。無意味は無意味で怖い。
 この繰り返しなんだよなあ、本当に。否定して、否定して、軸の上を往復する。次第にピンボケした思想だけが残る。幸福とは?人生とは?存在とは?善とは?認識とは?論理とは?愛とは?曖昧な問題にいつもその場限りの回答だけ用意して、輪郭のない人間の出来上がり。なんだかそれだと怖いから、本やネットから空っぽな知識を集める。あーあ。何かを無条件に信じるという機能が若干ぼくには欠けている。つねに疑いの余地を残したまま仮初の形で信じている。

 

3月26日深夜

 現代を我々は生きている。言葉を補えば、古代、中世、近世、近代、現代というような歴史上の段階を踏まえると、西暦2020年を生きている我々にとって、西暦2020年はもちろん現代である。西暦2000年も紛うことなく現代である。西暦1945年もたぶん現代に含まれるだろう。西暦1900年前後となってくるとそろそろ定義や地域によって意見に齟齬が生じてくる。では、観測者の立ち位置を変えてみて、西暦4000年にもし人類が残っていたとして、それでもやはり、この2020年は現代の範疇にあるのだろうか。おそらく、そんなはずはない。現代が2000年も続いていては、アンバランスにもほどがある。「古」い時「代」である古代が2000年続くのとは訳が違う。現代とは「現」在進行している時「代」である。そして、当然のように現在は過去になるし、事象のほとんどは遠近法の彼方で忘却され、残りの僅かだけが歴史の中に固定されゆく。その具体的内容として、ある緊急速報は歴史的出来事へとなってゆく。
 ぼくは2001年9月11日、家のブラウン管テレビを通して、既に火煙に包まれているビルへ二台目の飛行機が模型のように突っ込んでゆく様子を見た覚えがある。あるいは2011年3月11日、避難先であった家電量販店の液晶テレビを通して、岸を越えるはずのない海水たちが陸地をみるみるうちに呑み込んでゆく様子を見た覚えがある。それらが歴史に残る出来事になるという自覚は全く無かった。
 将来教科書に載るような─卑近な例になるが教科書への記載は「歴史的」であることの主要な要素だと思う─出来事を目の当たりにしても、当時の目撃者にとっては一つの速報ニュースでしかない。たとえ大きな衝撃を受けたとしても、その衝撃はあくまで、自分の生活や将来に対する影響など、個人のスケールの話であって、歴史のスケールの話ではないはずだ。(誤解のないように述べておくと、この指摘に否定的な意味はない。たしかに歴史は個人よりもスケールが大きいが、必ずしも価値があるものとは限らない。個人にとって歴史など二の次であって、たとえば、ぼくは今自分が生きていることのほうが人類の歴史よりもはるかに大切だと感じている。もちろん歴史を疎かにする気は全くないけれど。)
 危機感や当事者意識の欠如といった言葉では説明し尽くせない、現在と歴史の乖離とでもいうような人間の時間感覚。ぼくはこれを人間の深いところに根付いた一つの性質だと思っている。なんだかこの状況って歴史的事実になりそうだなとようやく思い始めるたびに、ふとそんなことを思う。ぼくがいま生活している地域ではまだ流行していないが、もしかしたら明日には始まっているかもしれない。
 ぼくはなにか、もっと危機感を持てとか、我々はいま歴史の分岐点にいるんだぞとか、そういった啓蒙活動をしたいわけではない。ぼくにはそういう意識がそもそも欠如している。別にみんなが好きなような思想を持って好きなように行動すればいいと思っている。他者に寛容というか、つまり興味がない。ただ最後に人類全体で人類のケツを拭けばそれでいい。
 あとでこの文章を読み返して、あぁこいつは当時こんなこと思ってたんだなぁと、この時間感覚の酔いとやらに浸りたいんだ。

 

4月9日20時10分

 徹夜明けの蝉の声が懐かしい。暑さの予感を感じさせるような眩しくて静かな朝を、ふらついた足で歩くのが好きだった。風は湿気を含みながらもギリギリ爽やかで、汗ばむ肌を心地良く撫でた。ある程度疲れている方が未来への不安や過去の後悔が薄れて、その分だけ全てが輝いて見えた。世界の中にぽつんと自分が一人取り残されて、それでもぼくの見えないところで、世界は優しく微笑みをもってぼくを眺めていた。あの感覚が、懐かしい。
 ふと、どこまで正しかったんだろうか、という直感がぼくを襲う。これ自体、意味を持たない疑問で、そもそも何の正しさを考えているのか、「どこまで」というのはどんな風に物事を分割しているのか、どんな基準をもって正しさを測っているのか、なぜ「正しかった」と過去形なのか、と冷静に分析すると不明な点は尽きない。

 

4月15日0時18分

人生の方針を日常の中で忘れてしまわないように書いておく、これは自分の中の憲法である
・生きるということは、生きた証を自らで感じることである
・つまり、この自分の人生の第一義は自分と世界の折り合いをつけ続けることにある、ボケたらそこで終わり
・また、この「自分」という存在形式は無条件に前提される、ぼくはこの存在形式が大好きである
・過度に問題を増やさないために上二つの仮定は絶対に否定しない、たとえ疑うことが哲学の契機だと唆されても揺るがない、自分でそれを真に心から怪しいと思うまでは疑わない
・上記の仮定に加えて自分の直感も変に疑わない、たとえば世界は自分の外に存在するし、ぼくは世界の中に存在するし、決して水槽の中に浮かぶ脳ではない
・というのも、直感に反することをわざわざ考えることで、思考の幅が広がっても、世界との折り合いがつきやすくなることはおそらく滅多にないから
・それを思考することがあっても、遊びであって、信念にはならないだろう
・安直な逃げを許さない、気持ち良いだけでは人は生きていけない、いつか限界が来る
・ただし、緊急避難として、辛くなったら何もかもから逃げることを許す、耐えたらまた再開する
・自分が壊れてしまっては、何もかもお終いになってしまうから
・まぁでも本当に辛いときにこそ何とかして折り合いをつけないといけないんだけどね
・当たり前のことだが、これはぼくのルールであり、ぼくだけのルールであることを自覚する、これは他人の尊重であり、また自身の尊重でもある

・理性と感性ではまず感性を優先させる、ただし理性によって感性を修正するべきと総合的に判断した場合はこの限りではない、基本は感性をあとで理性で裏付けるという作業をするべきである
・これは理性が暴走して形骸化してしまわないようにするための予防措置である、こんな箇条書きで人生のルール設定をしていることからもぼくの頭はガチガチであることは垣間見られる

・具体的事案への対処が多くを占めるだろう、たとえばある事象に対する感情や解釈、批判的考察など。日常的に。抽象的な事案への対処は数少ないと思う、存在への考察や道徳だとか宗教だとか、要はボンヤリとしているときに考えること
・具体的事案への対処は抽象的事案への対処の礎となるはずとぼくは考えている、実学(ぼくはぼくがしていることをこのように認識している)の大体は各論があってはじめて総論があるから
・これは、さっきの、まず感性があってそれを理性で裏付けるという作業にも似ている

・そして今の自分において最も重大な問題認識が存在論であり、「自分」と「世界」の存在がこの人生の出発点であることからもこれは当然と言える
・答えを出すのに急いではいけない、日常の一つ一つを大切に掬い上げた上で具体から抽象へと昇華しなければ、虚ろな思想だけが築かれることになる

 

6月4日23時57分

 疲弊の最果てみたいな夜に、ボサノヴァの音楽を流しながらモルディブの水上コテージの動画を観た。投稿者の無粋な姿の写っていない、静かな動画を見つけた。コテージの中は日差しの強い屋外とは打って変わって薄暗かった。窓の外には散乱する青色と波音が広がっていた。こんな蒼い海によく似合う綺麗な女の子になりたいなと思った。南国写真の一部に相応しい存在であることを自覚して、美と一体化した自分をそこに見出して、ナルシシズムに心置きなく浸りたいと思った。これはどういう欲求の現れなんだろう。こんな妄想垂れ流しの文章に結論はない。展開もない。行き先の途絶えた夢物語が溜まらなく苦しい