墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

2019-01-01から1年間の記事一覧

黄昏時

あれもこれもやろうとしてウキウキしていたのに、結局最初に思い付いたものの序盤にしか着手できなかった休日の夕方。生暖かな眩しさが怠惰な午睡を覚ます。部屋の内へささやかに差し込む西日の、その正体である夕陽を訳もなく目に焼き付けようと外に出る。…

極めて個人的な経験

あれほど劇的な出来事だったのに、いったん文章に整えてしまうと軽々しい絵空事になってしまう個人的経験、といったものには悩まされることが多い。それは、自分の力不足であったり、そもそも言語表現としての限界であったり、無意識のうちに事実が大仰な物…

或阿呆の一興

「全力ごっこ?」 「そう。全力ごっこ。あなた、全力を羨ましいと思ってるでしょ」 「きっと全力は気持ちがいいからね」 「でも、全力で生きるのは疲れるから全力ごっこで誤魔化すと」 「疲れる、というのは少し違うかな。なんていうんだろう、単にやり切る…

奔念観逸

助からないなぁ ということばがふと頭に浮かんで、やつれかけの自分に気付いた。 いつもなら、こいつはもう救いようがない、と三人称から自分を眺めていたのに、今日はぽろっと一人称視点が出た。 帰りたい、という願いが先にあって、でもどこに?という指摘…

井の蛙は青い芝の夢を見るか

隣の芝は青い。 この諺の意図は、単純に「人は常に他人を羨ましく思ってしまうものだから、あまり他人と比べても心が波打つだけで幸せにはならない」という個人主義的人生論におさまらず、「自分の手の届かないものにこそほんとうの美しさが潜んでいる」とい…

ふたことみこと

ひとこと、と呼ぶには長すぎるため。 四月の前半は生きるのに精いっぱいで、最低限の生活しか出来なかったけれど、後半に至ってようやく、なにかを生活に上乗せできるようになった。桜の木は気付くと青葉だけになっていた。朝の冷たさに身を縮めることはなく…

平均台を歩む

お浪は女心の、訳もなく空怖ろしい気がして、暫くは思わずその眼を閉じたけれど、しかし胸の中には忽ち堪えがたき憂愁の念が、簇々として叢り湧いて来た。この憂き悩みは真にお浪が身体の奥底から起って来たものといわねばなるまい。これまで、お浪は自分が…

走馬燈

モノ自体に意味はない、と言い訳してモノを捨てる。わざと粗雑にゴミ袋へ放り込まれたモノは燃えるゴミとなって二度と戻らない。ぼくは呪文のように言い訳を繰り返す。モノ自体に意味がなくとも、モノは思い出を、歴史を、その意味を呼び起こす縁になるとい…

遅刻した日の昼

母と姉の死刑が執行される日、私は駅のホームに立っていた。 右隣には母が、その数歩先を一人で姉が歩いていた。二人の顔は見えない。薄暗いホームはおそらく地元の駅で、周囲に人はいない。隙間(何の?)から微かに昼下がりの日光が射しこむ。死刑は今日(…

さよならスポンジくん

先日、流し台の片隅にて、この部屋最初で最後、唯一無二のスポンジが、無残にもカビだらけの姿で転がっているのを見つけました。ぼくはすぐに次のことに気付きます。これでは、どんなに皿を洗いたくても、この部屋に残されたスポンジはもうない以上、皿を洗…