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墓の中

発言の無矛盾を目指します

Memoria is lost. Nostalgia will last.

8がつ4にち てんき:はれ

今日は朝から友だちといっしょにこうえんであそんだ。虫をとったりサッカーをしたりした。とても楽しかった。昼はソーメンをたべた。つかれたのでひるねした。お父さんがショッピングモールにつれていってくれた。外はとてもあつかった。アイスとマンガを買ってもらった。家にかえるとお母さんが晩ごはんをつくっていたので、その前にお父さんとお風呂にいった。とても気持ちよかった。晩ごはんのカレーはおいしかった。テレビが夏なので1時間が2時間半になっていたので、とっておいた。花火が近くであってベランダから見た。とてもきれいだった。あさってはおじいちゃんとおばあちゃんのところに帰る。楽しみだ。

 

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人間は根源的に時間的存在である。未来があり、今があり、過去がある。未来に対する最たる感情が希望や絶望であれば、過去に対するそれは郷愁や悔恨だろう。

不思議なのは、未来に対する感情と比べて、過去に対しては積極的な正の感情を覚えることがあまりないという事である。例えば、郷愁という言葉は過去に対して比較的正の意味付けをするときにも使われるが、それでもその言葉の中に「愁」という漢字を含み、その意味の中に「愁」という感じを含んでいる。

これは、恐らく「未来は変えることが出来るが、過去を変えることは出来ない」という時間の不可塑性に起因するのだろう。いくら強い正の感情を持ったって過去以上のものは手に入らない。そういう諦念が根本にあるのかもしれない。

 

もっと不思議なのは、郷愁という言葉の指している感情が喜怒哀楽といった一般的な感情と異なりとても曖昧なものであるにもかかわらず、ほぼ全ての人間がその感情の存在を否定しないということである。

同じように曖昧なものである恋愛という感情を(人生経験の不足故か本来的な感情の欠如故かはさておき)理解出来ない人間が一定数いるのに比べると、郷愁という感情を理解出来ない人間の方が数少ないのではないかと思う。

 

これについて考察する前に、あらかじめ定義をしておきたい。

僕の考えによると、郷愁とは「過去を美化することにより、もしくは過去そのものを美化することにより、自分の人生を肯定する際の感情」である。

「過去を美化する」とは「昔こんなことがあったな~今となってはいい思い出だけどw」というように過去あった事実を受け入れることであり、「過去そのものを美化する」とは「(実際はそんなことはなかったのだが、)昔こんなことがあったような気がする~いい思い出だな~」というように過去あった事実を美しい事実と(ほぼ無意識のうちに)すり替えることである。

 

「過去を美化する」例は幾らでも思いつくだろうから、「過去そのものを美化する」例を挙げておこう。

「学校が終わったら、ランドセルを置く為だけに一旦家に戻って、また駄菓子屋の前で友達と合流して駄菓子を少しだけ買うと、校庭や公園に移動して遊ぶ。17時の放送が流れると解散となり、家に帰ると母親が台所で夕飯を作っているので、その間に入浴を済ませて、さっぱりした状態で夕飯を食べる。夕飯を食べ終わったらそのまま団欒しながらテレビ番組を見て、疲れてきたらそのまま布団に入り寝る」みたいなこと(この一連のイベントをAとおく)を思い出すと、僕は郷愁を覚えるし、また多くの人が郷愁を覚えると思う。

しかし、少し考えてみて欲しい。本当に自分の人生にAのような過去が存在しただろうか?毎日がAのように美しい過去だっただろうか?

僕はAのような過去が本当にあったか自信が持てない。少なくとも毎日がAのように美しい過去ではなかった。世間に流布している「小学生時代の理想的な生活」のイメージに多少引き摺られてしまっているのではないかという疑念が胸の内にある。

ここに、無意識下の過去のすり替え(の可能性)が発生する。これが「過去そのものを美化する」ことである。

 

もっと確実な例もある。それは作品を鑑賞しているときに発生する郷愁の念である。

作品内の出来事に対して、自分は実際にそれを経験したことが無いにもかかわらず、一種の懐かしさを覚えることがある。ここでもやはり、無意識のうちに自分の過去に美しい過去を滑り込ませて、あたかもそんな過去があったかのように「過去そのものを美化」している。

大衆向けの良い例としてパッと思いつくのは数少ないが、例えば『サマーウォーズ』の一家が全員集合するシーンでは、僕はそういう経験が無いにもかかわらず、少し懐かしい気分になった。

このように、記憶が失われても、(むしろ記憶が失われることにより、)郷愁は生まれる、ということは確かにあるのである。

 

上記の通り、過去を変えることは出来ないということが分かっている。それでも自分を肯定したいというときに、人間に出来ることは何か。それは、やはり過去「の見方」を変えるか、もしくは過去「の記憶」を変えるか、のどちらかになるのだろう。

本能的に、一種の防御機構として、人間はそのように出来ているのだと思う。故に、郷愁という感情が、ほぼ全ての人に共通するのではないだろうか。

 

友人との会話の中で、そんなことを思いました。