墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

明日は明日で、今日は今日

「最も熱のある青年が最も良い老人になるのであって、学校時代にもうおじいさんのようにふるまう人間が最も良い老人になるのではない。」

 

最近で一番心に残った言葉である。ヘルマン・ヘッセの『春の嵐』の一節であるようだ。二記事連続でヘッセを取り上げるとまるでヘッセオタクかのように思われるが、そういう訳ではない。僕はただのオタクである。

 

別に"良い老人"になろうとは思わない(そもそも老人にはなりたくない)が、少なくとも「若者の間は情熱的に生きろ」というメッセージは伝わってくる。

僕は度々、情熱が欠如した状態で「もうおじいさんのようにふるま」っている事を痛感する。親しい友人などを除き、感情や意見を表に出すのが億劫になって、ただただ周囲に合わせて生きている。

その所為もあって、創作活動ものを初めとして情熱感の溢れ出る作品を見ると、少しの寂寥感と劣等感を感じる事も多い。そう考えると、このブログはなけなしの情熱を乗っける事で満足感を得る目的もあるのかもしれない。

 

……みたいな話を研究室のポスドクの人としていたら「僕はいつもCarpe diem(カルペ・ディエム)という言葉を胸に生きてる」という話をされた。

Carpe diemというのはラテン語で、「その日を摘め」という風に訳されるらしい。意訳すると「その瞬間その瞬間を生きろ」みたいな感じ。その日暮らし、という言葉が(その負の意味を除けば)最も良く合う表現かもしれない。

彼は翌日の事は考えないで、その日起きた瞬間に今日のことを考え始める。未来のことを考えるとどうしようもなくなるらしい。「まぁ長期的な事を考えられなくなると、大きな事なんか成せなくなるんだけどね」 と笑っていた。

でも、そのおかげで毎日毎日燃え尽きる事なく生きていけるのだろう。確かに友人の中でも(燃え尽きずにいるかどうかはともかく)そういう人種はいる。

僕はすぐ未来を考えて一喜一憂して立ち止まってしまうが、もう少し鈍感になってみようと思った。今とだけ真面目に向き合えば、情熱を取り戻す事も出来るような気がする。

 

あるオタクが「今日という日は今日しかない!張り切っていきましょう!」と可愛い女の子キャラが言っているシーンを毎日見ては、「そうなんだよな、今日という日は今日しかないんだよな……」と呟いていたのを思い出す。

そう思うと、彼はエロゲーでCarpe diemの精神を既に学んでいたのだ。エロゲー恐るべし。

 

特にこれ以上広がる事もなく、ありきたりな話でお終いです。