墓の中

発言の無矛盾を目指します

勧己懲己

人間は善悪が明確に区別できる世界を願う。というのも、理解する前に判断したいという卸しがたい生得の欲望が心にあるからだ。この欲望の上に諸々の宗教やイデオロギーが基づいている。

ミラン・クンデラ『小説の技法』(西永良成・訳)

 

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勧善懲悪、という大昔から語り継がれる思想がある。「善いことを勧め、悪いことを懲らしめる」ことこそ正しいという思想である。因果応報と並立して扱われることが多い。アンパンマンバイキンマンをやっつける。水戸黄門は悪代官をやっつける。雀を助けたおじいさんには幸福が訪れ、雀を虐めたおじいさんには不幸が訪れる。神を信じた者は天国へ昇り、信じなかった者は地獄へ堕ちる。

幼い頃はこのような妄想を信じて已まなかった人も、成長して”大人”になると人の世はそんなに上手く割り切れない事を知る。それでも、人は勧善懲悪を作品の中に追い求め続ける。

極僅かの人─その人こそヒーローになり得るのだが─は「ああ、確かに勧善懲悪は正しかった。やはり必ず善は行わなければならない。」というように、勧善懲悪の正しさを再確認する為に見ているかもしれない。

しかし、僕を含めて多くの人は「うわ~こいつウザいな~早く死なねぇかな~(中略)よっしゃあいつ死んだ!スッキリした~最高!」というように、勧善懲悪のカタルシスを追い求める為に見ている(はず)。

 

このようにいつのまにか勧善懲悪は目的から手段にすり替わってしまっている。しかし、僕はそれこそ正しい姿だと思う。「善い事は善いから、善い」というア・プリオリな価値観よりは、「善い事はスッキリするから、善い」のように己を出発点として形成した価値観の方が信用に値する。

少なくとも、多くの人が勧善懲悪─そして、善悪そのもの─とは物語でしか成り立ち得ない空想上のものである、と意識的に、或いは無意識のうちに現実と物語を区別しているはずである。(現実世界に勧善懲悪を求めた結果の行動が「いじめ」ではないかと僕は思っている。そもそも上のように考えるのであれば、目的がカタルシスである限り、勧善懲悪といじめに本質的な差は無いだろう。)

 

かつて倫理学マイケル・サンデルが、俗にトロッコ問題と呼ばれる、「誰かを助ける為に違う人を犠牲にするのは善いことか悪いことか」という問題を取り上げて一躍有名になった。

勿論倫理学や法学や文学の分野では大昔から議論されてきたことであったが、世間でここまで有名になる事を考えると、やはり人は善悪そのものに対して懐疑的になりつつあると結論付けるのが自然ではないだろうか。

 

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こういった善悪そのものの限界を超える為には「絶対的な善悪など存在せず、それは常に相対的なものだ」といった善悪相対説を採用する必要がある。上で述べたような己を出発点として形成した価値観こそ優先されるべきである、という考えである。(このように人々は次第に規範の相対化を求め始めている。今回その傾向そのものについては議論しない。)

 

物語でも善悪相対説が採用された瞬間、世界は一変する。これまで正義の味方を「お前が正しい。あいつが間違っている。」と支えていた世界が、逆に「お前が正しい理由は何だ?あいつが間違っている理由は何だ?」と問い掛けてくるのである。

Fate/stay night』で「正義の味方」を目指した衛宮士郎はどうなっただろうか。『装甲悪鬼村正』で「英雄」を目指した綾弥一条はどうなっただろうか。『コードギアス 反逆のルルーシュ』で「優しい世界」を目指したルルーシュはどうなっただろうか。

 

人が生きるところに正義が生まれる。人を描く物語ではその人の正義を浮き彫りにしなければならない。

「お前はお前が正しいと思うように俺は俺が正しいと思う。だから、俺はお前を倒す」

「お前が正しかったとしても、お前を倒すことが世界の為になる。だから、俺はお前を倒さなければならない」

「お前も俺も正しくて間違っている。だから、俺はお前を倒してから俺の罪を甘んじて受け入れる」

「俺が間違っている。だから、俺を憎む全ての者は正しい」

善悪相対説が一般的となってしまった今では、辿り着く結論自体の類型化は十分可能であり、新規性を求めるのは難しいかもしれない。しかし言うまでもなく、大切なのはその結論に至る過程である。

 

少なくともオタクコンテンツにおいて、名作と呼ばれる物の多くがこのように「何が正しいのか何が間違っているのか」について掘り下げているように感じる。善悪の絶対性が疑われてしまっている現代では、茶番化してしまった勧善懲悪ストーリーより心に深く残るのだろう。

 

価値観の源が自分になってしまった状態では、自分を信じることも自分を省みることも同じくらい大切だよねとしみじみ感じた。