墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

人が車輪を動かすのか車輪が人を動かすのか

ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んだ。訳者は高橋健二

折角なので感想でも書くかと思ってtxtファイルに本文を引用しつつタラタラと書いたら長くなってしまったし、何よりも読んだ事のない本(有名な本なので読んだことのある方も多いだろうが)についての感想を読むのは絶対につまらないと思ったのでハードディスクの中にお蔵入りにする事にした。

(正直な話をすると、八割くらい書いてから面倒臭くなって、更に夜も明けてきたので寝た。)

 

ただ、途中までとはいえ感想もどきを書いたので、一応僕が本書のテーマだと思っていることについてだけ記事に書いておきたい。

 

ちなみに、なんでわざわざ感想を書こうと思ったかと言うと、主人公の状況(拗らせっぷり)が僕のそれと酷く似ていて共感を覚えたからである。そして、それが僕だけの話ではなく、ある限られた部類の人間にとってはかなり当てはまる話だと思ったからである。

以下の断片的な情報を見て、読みたくなった方は読めば良いと思う。新潮文庫で340円(税抜)。

 

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本書の第一のテーマは「科学 vs 芸術」である。より広く「理性 vs 直感」と言ってもいいだろう。少し長いが、以下の一節を引用しておく。

 

「科学的な人は、新しい皮袋のために古い酒を忘れ、芸術的な人は、数々の皮相な誤りを平気で固守しながら、多くの人に慰めと喜びを与えてきた。それは批判と創造、科学と芸術、この両者間の昔からの、勝負にならぬ戦いだった。その戦いにおいては、常に前者が正しいのだが、それはなんびとの役にもたたなかった。これに反し、後者はたえず信仰と愛と慰めと美と不滅感の種をまき散らし、たえずよい地盤を見つけるのである。生は死よりも強く、信仰は疑いより強いから。」

 

実はこの一節は本文では些細な場面で出てくるのだが、僕はかなりテーマに近いのではないかと思う。不正確さを恐れずに要約すると「理性は常に正しいが、人間の心に何も生まない。一方、直感は間違いだらけだが、創造性を潜めている。」となる。

本書の主人公は、学校における勉強("理性"的なもの)に優れていたが、対人関係など("直感"的なもの)には疎かった。しかし、ある友人と出会い、芸術("直感"的なもの)に触れるようになってから意識の変革が起きて、自分の社会的立場("理性"的なもの)と自分の感情("直感"的なもの)の間で板挟みになって精神を消耗してしまう。

この対比は次の対比にも繋がる。すなわち、"理性"に対応するのが、"大人"であり、"直感"に対応するのが、"子供"である。

 

 

第二のテーマは「大人 vs 子供」。こちらが本書のメインテーマとして扱われることが多い。詳細に書くのであれば「子供の為を思って社会という型にはめる大人 vs それを苦と思わない子供(いわゆる優等生) vs それに抗う子供(いわゆる問題児)」という三角関係(?)である。

一つ目のテーマは「優等生から問題児に変貌するところに焦点を当てている」という点では確かによりミクロなテーマかもしれない。

何はともあれ、以下の数節を引用しておく。長くてごめんなさい。

 

・主人公が通う神学校についての説明。

「政府は、生徒たちが特別な精神の子となるように配慮している。その精神によって彼らはのちになってもいつでも神学校の生徒だったということが見分けられる。ーそれは一種の巧妙なしかも確実なしるしづけである。自発的な隷属の意味深い象徴である。」

・神学校の入学式にて。

「母親たちは物思いにふけりながら微笑を浮かべて、息子をながめ、父親たちは姿勢を正して、式辞を傾聴し、厳粛なきっぱりした面持ちを示した。誇りと、殊勝な心根と、美しい希望とに、彼らの胸はふくれていた。そして、きょう自分の子どもを金銭の利益とひきかえに国に売ったのだなどと、考えるものはひとりもなかった。」

・神学校での教師について。

「天才と教師連とのあいだには、昔から動かしがたい深いみぞがある。天才的な人間が学校で示すことは、教授たちにとっては由来禁物である。」

「学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、十人の折り紙つきのとんまを持ちたがるものである。」

「教師の役目は、常軌を逸した人間ではなくて、……堅気な人間を作り上げる点にあるのだからである。」

・主人公がこれまで続けてきた勉強に疲れ果てるシーン。

学校と父親や二、三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子どものあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、なんのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れて来てしまったことを、だれも考えなかった。」

 

かなり辛辣な事を言っているのが分かると思う。このように、筆者は上記の三角関係のうち大人を悪役として、それに従う"優等生"をヒロインとして、それに抗う"問題児"をヒーローとして、描いている。

流石に幾分か言い過ぎな面もあると思うが、これは筆者の過去の経験(ヘッセも無理に神学校に通わされた)に依る偏見もあるだろうし、それを抜きにしても現代社会、特に教育に対してかなり的を射た意見であると思う。

 

……と、"優等生"である僕が臆面も無く言える事でも無いのだけれど。

 

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軽くまとめたつもりでもかなりの長文になってしまいました。ごめんなさい。

作品の感想なんて真面目に書いたこと無かったけれど、文章にするのは意外と難しい……でも、折角こういう発露の場があるので、たまに書きたいと思います。

ちなみに、今回は太文字や下線の使い方を知ったので多用してみました。おじいちゃんおばあちゃんが顔文字を知った直後に使いまくるタイプのアレ。

 

以上です。