墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

風の記憶

 鬱傾向の一番激しかったとき、風は生温くさわさわと吹いていた。ぼくは一生懸命に自転車を漕いでいた。海辺を目指して、あるいは夕焼けを目指して。自転車の上で感じる風は立ち止まっているときより幾分か涼しかった。
 部屋にあんまり帰りたくなかったんだろうなぁ。憂鬱な人間にゆっくり考える環境を与えると、思考が空回りを始めて、自分で勝手に首を絞めてしまうから。一番良いのは頭をなるべく使わずに何かをひたむきに眺めること。心の問題を頭で解決できるのはある一定の限りまでだということをぼくは無意識のうちに了解していた。だから、とりあえず自転車を漕いだ。平日も休日も夕方に時間がある限り自転車を漕いだ。
 なるべく大通りを避けて、裏道を通った。といっても、大通りなんて避ける必要があるほどは多くないんだけど。色んな道をくねくね過ぎ去っていくうちに、建物の配置がまばらになって、田園に挟まれた小道を進んでいくと、とつぜん集合住宅が現れる。その寂れた棟たちの壁はひび割れていて、一見廃墟にも見えたが、ガラス越しに、カーテンと乱雑に置かれた洗剤類を見つけて、住んでいる人たちがいることを知った。これから日が沈み、そしたらこの部屋にも電灯が灯るはずだ。人がいて、生活があった。ぼくは嬉しさのあまりに歓喜を叫びたくなって、その数瞬後には虚無感の中でさっさと消えてしまいたくなった。
 集合住宅の間を通り抜けて、さらに道を進んでいくと、田園とそれらを区切る水路、ときたま現れる工場のようなものを除けば、あとは空と自転車に乗るぼくだけが残る。明日のことを考える暇を与えないようにただ自転車を漕ぐ。汗ばむ肌に控えめなそよ風は心地良かった。目や耳よりも肌へ記憶が鮮明に焼き付けられていた。それから松林を抜けて、堤防を登ると、海が目前に広がった。

 

f:id:paca_no_haca:20200503170444j:plain


 海沿いに自転車を漕いでいく。浜辺と防風林に挟まれた堤防の上を進んでいく。境界線を歩んでいく。たまに立ち止まって辺りを見渡す。手前の方は大きめの石で、波間は砂でできた浜辺。浜辺に乱雑に置かれた、どでかいテトラポッド。大小混在する茶色く湿気た流木、それと細長い茎みたいなやつ。堤防脇に生い茂る草。波が行ったり来たり、砂浜の濡れた跡もそれに少し遅れて動く。浜辺と平行にどこまでも続いていそうな松林、その中にこぢんまりと建てられた人気のないホテル。目に映るものを正直に受け入れる。

 自分が矮小な存在であると自身に刷り込むために、ぼくは海を何度も利用した。波が寄せては引いていくのをぼんやりと眺めていくうちに、自分の存在感が希薄になっていった。ぼくが目をつむると、それに応じて世界も目をつむってくれているような感じがした。これまでのこともこれからのことも忘れた。取り返しのつかないことも忘れた。自分の傷も自分を傷つけるものも忘れた。波と風が口裏を合わせて今を置いてきぼりにした。

 やがて薄暮が訪れて、現実が目を覚ます。胸の中のしんどい何かが重量を取り戻すのを感じる。また明日も来れたら来るよと帰路に就く。堤防を下り、海が視界から消え去るとき、明日が始まる。次第にモノの密度が増えていく中を進んでいく帰り道は、余計なことに目を向けて変なスイッチを入れてしまわないように、若干速く漕いでいった。行きよりも勢いよく風を切っていたはずなのに、帰りの風は記憶にない。

 

f:id:paca_no_haca:20200503170507j:plain

 


 窓の傍で靡くカーテンを見て、今日はそういう事を思い出すのに相応しい日のような気がした。五月三日、晴れ時々曇り、最高気温は24℃。今日も風がさわさわと吹いている。