墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

黄昏時

あれもこれもやろうとしてウキウキしていたのに、結局最初に思い付いたものの序盤にしか着手できなかった休日の夕方。生暖かな眩しさが怠惰な午睡を覚ます。部屋の内へささやかに差し込む西日の、その正体である夕陽を訳もなく目に焼き付けようと外に出る。角度の問題でベランダからは、燦然と輝いているであろうそれが上手く見えない。困って今度はマンションの共用廊下に歩を進める。夕陽が見えない代わりに山々が見える。夕陽に照らされた稜線が天地を曖昧に区切る。日没が刻々と近づき、えも言われぬ焦りが胸中に満ちてゆく。私はきっと“あれ”を見ないといけない。そうしなければ……。
しかし──しかし、なぜ私は焦っているのだろうか?遅れてやってきた理性が感情をじわじわと蝕む。なぜ私はそこまでして“それ”を求めていたのだろうか?なぜ、なぜ?そう問うた途端、直前までの行動が阿呆のように思えてきて、ため息をつき部屋に戻る。
薄暗い廊下を抜け、居間へ入ると、やはり眩しい。黄色く、紅い。その本体は見えない癖に、予感だけは部屋中にこびりついている。観念した私は椅子へ深く腰掛ける。何かを考えることが馬鹿馬鹿しくなって、適当に音楽を流す。一過性の不感症へ陥った鑑賞者の前に、無意味に消費されてゆく音たち。ラララララ。眺める。テレテレテ。床の上に散らばる、本来今日片付けられるはずだった物たちが不格好に細長い影を写す。シャンシャン。思い出す。パンピンポン。明日からまた活動がはじまる。ジャカジャカ。見つめる。タッタッタ。また何もなせずに終える一日。何かをしたところで満たされない一日。リンリンリン。まだ眩しさは粘りっこくべったりと残っている。
思えば、私はこの時間が一番苦手だった。永久に続くような黄昏時が。徐々に弱まってゆく光を見つけて、何かをせずにはいられないのに、そのまま何も出来ずにいる、静と動がアンバランスに混じり合った一時が。それは、絞首台へ至る階段を今すぐ飛び降りようと思いながらも登り続けるほかない囚人の最期にも似ていた。
ふいに原初の記憶が呼び起こされる。小さき身体に不釣り合いな広さのリビングで留守番をする幼い子供。中途半端に閉ざされた遮光カーテンの隙間から差し込む夕陽に薄暗く照らされるリビング。心細い稚児には唯一の拠り所であり、どんな世界へも辿り着きうるように思われた、蜘蛛の糸のような光の筋。子供はソファの上に座り、何者かの帰りをひとり願い続ける。黄昏は幼少期の私にとって神秘の眼差しだった。今では化けの皮が剥がされ、陳腐なフェティシズムへと堕落した。
やがて沈鬱の灯火は暗くなってゆき、街灯が代わりに部屋をポゥと仄かに照らす。ようやく夜がやってきた。すっかりと気を取り直した私はカーテンを閉め、電灯を点けた。