墓の中

穴は真珠貝 標に星の破片 傍には百年の待ち人

奔念観逸

助からないなぁ ということばがふと頭に浮かんで、やつれかけの自分に気付いた。

いつもなら、こいつはもう救いようがない、と三人称から自分を眺めていたのに、今日はぽろっと一人称視点が出た。

帰りたい、という願いが先にあって、でもどこに?という指摘が後出しされる。帰る場所の具体性のなさに、理想主義の節操のなさに、なさけなくなって、逃げ出したくなる。でもどこに?

 

誰かがピアノを弾いていた。ピアノの音は家の外まで聴こえていた。その音色を聴いて若干落ち着く。

カーテンの隙間からリビングが覗く。広くて綺麗でも狭くて汚くても、他人のリビングを傍から一瞥するのは落ち着く。自分以外の生活を見ることはきっと観ることで、逃げ場や帰る場所の予感を秘めているから。

 

途中までは熱心に読んでいたはずの小説を、いつからか惰性で読みはじめて、同じ段落を何度も読みなおす。目に入った文字を片っ端から忘れていって、いつのまにか眠くなって、寝た。三度目の寝落ち。

 

無、みたいな発作が起きて、空っぽになった胸が変にきしむ。ティーカップが割れる。破片が飛び散る。暮れてゆく曇り空に追いつめられる。鈍い色は重い。

若さの代償に、若々しさを求められるのは、いやだ。なら、ぼくはもう70歳でもいい。唐突に湧いてくるやる気と、唐突におそわれるやる気の無さを繰り返していると、これって 若者 としてどうなのと思う。でも、ぼくは自由に疲れたい。

 

立ち眩んで、しゃがみ込む。一瞬だけ気分が悪い。ぼくは生きていて、この身体は一つしかない。他人の顔を思い浮かべて、それぞれに 自分 が一人ずついることを思い出して、また気分が悪くなる。

 

たぶん、そろそろ 一人 でいたい。働きたくないというのは二の次。落ち着いて一人でいられるところに帰りたい。こんなんだからぼくは色々とダメなんだと思う。自分で自分のことをダメだと思ったことはない、そこまで卑屈になっていないつもりだけど、常識に照らせばやっぱりダメなんだと思う。

 

だから、日曜の晩に自転車に乗った。

もう順番も内容も論理もめちゃくちゃだ。

 

また空想に籠る。