墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

遅刻した日の昼

母と姉の死刑が執行される日、私は駅のホームに立っていた。

右隣には母が、その数歩先を一人で姉が歩いていた。二人の顔は見えない。薄暗いホームはおそらく地元の駅で、周囲に人はいない。隙間(何の?)から微かに昼下がりの日光が射しこむ。死刑は今日(あるいは明日?)執行されるようで、二人はその場へ粛々と向かっている。ホームの上を歩きながら、その事実を思い出す。(しかし、このホームを歩いた先には何があるのだろう?)抗えぬ強大な力が運命のベルトコンベアを廻し続ける。

 

私は、目の前で寄り添う相手もなく、たった一人で終わりへと近づいていく姉に目を向ける。

可哀想な〇〇(姉の名前)!家庭の内にも外にも居場所をなくしてアニメや漫画に逃げたあなたは、どうすれば救われたのだろう?(そもそもあなたは何の罪を犯したのだろう?)誰にもまともに相手にされず、散らかり切った部屋で画面内のヒーローに愛を捧げたあなた。きっとそれらは本当にあなたの心を保ってくれる唯一の生き甲斐に違いなかった。まだ続きを観たかった作品もあっただろうに、その行く末さえも知ることが出来ずに突如吹き消されるちっぽけな命。もう十分に虐げられた彼女が、なぜさらに死という厳罰に処されなければならないのか?

私はせめてもの報いと思い、私たちとともにそこへ歩いて行こうと彼女に声をかける。彼女は振り返ることなく、きっと罵詈雑言を吐き出し目の前から消えていった。私はそのような訣別になることを知っていた(信じていた)。彼女は今日(あるいは明日)、その決定的瞬間が訪れるまで継続して、最後の最後に至るまで孤独に根源的恐怖に晒されるのだ。私はあまりの救いがたさにとても悲しくなってしまった。どうして、どうして?問いは止まらない。

 

ホームの上には母と私だけが立っていた。なぜ律儀にそこへ向かうのかと私は問いかける。何も拘束されていないのに、なぜ自ら終わってしまうことを選ぶのか?ここから電車に乗って、元の生活に戻る道だってあると。[それは本当に問いかけたのだろうか?問いかけなくとも、この別れが逃れられない運命や罰であるということも、彼女が自らの保身よりも権力という慣性に従う人間であることも、私は知っていた(信じていた)。]そうして、彼女は聞き分けの悪い子供に、窘める言葉の代わりに切ない微笑を向けた。

ホームの上を歩いていく。彼女にとって明日(あるいは明後日)という日は存在しない。明日(あるいは明後日)という日に彼女自体もまた存在しえない。その意味の上に彼女は立っている。ああ、私ではない何かが消えていくということが、どうして?どうして、こんなにも悲しいのだろう?私は涙が止まらなかった。どんなに私が泣き崩れて彼女の身体にすがりついても、私の母もまた、孤独であるしかない。私は終わりを拒む魂の叫びを知っている。不条理。(私はつまり、母を愛していたのだろうか?)泣き続ける。涙。叫ぶ。涙。涙。微笑。涙。涙。涙。涙。

 

十一時四十七分。十二時から何か約束があったはずなのに、これでは良くない気がする。立ち上がって憂鬱な気分で洗面台に向かう。鏡の前で髭を剃っていると、勝手に反省会が始まる。また変な意識がもたげてきた。今度は母との別離不安と、いつも通り死への恐怖?姉に対する憐憫と自惚れは、最近どうしようもなく染み付いてしまったらしい。でもこんなに分かりやすかったらフロイトさんも必要ないねと、ニキビの跡地に出来たカサブタをぺりぺりと剥がす。そういえば、あんなに流したはずの涙は、現実には一滴にも如かなった。涙で枕を濡らすというのは、案外夢物語なのかもしれない。前歯を雑に磨く。

 

十二時二分。僕はまだ生きている。