墓の中

穴は真珠貝 標に星の破片 傍には百年の待ち人

あるオタクの心裡告白

 本当は本当に、生きているのが耐えがたかった。ある日劇場で映画を見てから、生きる意味を見失って、生きていく気が段々と薄れていって、積極的に死にたいとは思わなかったが、仮に今自分の目の前に死があったとしてもそれはそれで楽だし構わないと思ってしまうほどだった。地に足は付かず、心は身体にあらず、食事は喉を通らなかった。今では落ち着いて元の精神状態になってしまい、あのときの感情の揺らぎは記憶の中にしか存在しないが、それでもこの気持ちは本物だと言えるだけの切迫感があった。

 この経験をいつまでも忘れず心の内に留めておくために、個人的な昔話をいくつか取り上げて、僕の人生という文脈の中で、なぜこんなに自分でもアホらしいほどにさよ朝を祀り上げるようになったのかについて、僕が思うところを書いていきたいと思う。ただの一人の愚かなオタクの過去回想です。どうか笑ってやって下さい。

 

 小学生の時、別にいじめを受けていたわけでもないが、家の外に出て学校に行くのが怖くて、玄関で母親に泣きつくことが何度かあった。母親になんとか宥められて、結局母親と一緒に人の少ない登校路を歩き、母親に閉まっている校門を開けてもらい、学校の内側へと送り出された。校門の外では母親が「いってらっしゃい」と手を振っている。僕は何度も後ろを振り返ってその姿を確認しながら、心細さに胸が張り裂けそうになりながら校舎に入る。校舎に入ってからはもう大変だった。母親はもう家に戻っていて、僕は一人でこの学校という世界で生きていかないといけない。無人の昇降口で上履きに履き替える。先週の日曜日に風呂場で上履きを洗っていた母親の姿を思い出す。無人の階段を一段一段登る。「今朝は少し体調が悪そうでしたので、様子見で遅刻させました。よろしくお願いします。」と書かれた連絡帳に母親の姿を見出す。無人の廊下をコソコソ歩く。手に持ったサンリオの新幹線のキャラクターの刺繍入りの体操服袋を見て、それを手作りした母親の姿を連想する。次の休み時間に入ったタイミングで教室に入るために、階段を昇ったり降りたりして時間を調節するという手段をとっていたが、これも誰か教師に見つかって叱責されるのではないかとビクビクしながらのものだった。なんとか教室に到着し、教師に連絡帳を渡した後も、同級生との関わりが始まるために心は休まらなかった。

 要するに、僕は典型的なマザコンで、外の世界がとても恐ろしかった。外界への恐怖が母親への依存を生み出したのか、母親への過度の依存が外界への恐怖を生み出したのかは、はっきりとは分からないが、多分後者なのだろうと思う。(僕は幼稚園に行かなかったので、7歳にして初めて家の外に放り出されたのが、一つの原因かもしれない。)もちろん、母親への依存というものはほとんどの男子小学生が通る道であり、僕だけが特別に依存的だというわけではない。ただ、このような「依存先から離れた外界に独りぼっちで生きていくこと」に対しては、人一倍に敏感だったので、その結果として、臆病で打たれ弱い人格が出来上がったのはおそらく間違いない。

 

 小学校を卒業するころには、すぐに親に泣きつく癖は無くなっていたが、これは外界への恐怖を克服したからというわけではなくて、単純に感情を外部に露出しないことに慣れていったからだった。中学生にもなれば、意地や見栄といったものが生まれるもので、そのような拙いながらも必死の心構えで感情を抑え込んでいた。外界への恐怖を克服していなかった証拠に、中学校という新しい"外界"と接触したとき、案の定僕の心は塞ぎ込んでいた。知らない路線に乗って、知らない駅で降りて、知らない道を歩き、知らない隣人たちの中で、知らない大人に教えを乞うのは、正直しんどかった。しかも、信じられないことに僕は中一の1学期に級長をしていた。何か周囲の期待に応えないといけないという臆病さのあまりに立候補してしまったのだろう。今思えば大した仕事はしていなかったが、それでもまだ幼い僕にとってはあまりにも重荷で、毎日、毎時間、押し潰されそうだった。このしんどさが一番強かったのは、入学して間もない頃に熱海に家族で旅行に行ったときで、今でもありありとそのときの感情を思い返すことができる。

 そこは、僕が幼い頃から家族で何度も行っていた療養所で、昔の思い出がたくさん詰まっていた。静かで広いロビーから一望される海。部屋は和室で、荷物を置いたら寝転がって畳の匂いを満喫する。ある程度休憩したあとは、入り慣れた温泉にゆき、温まった体で心安らぐ音楽の流れる廊下を歩きながら、食堂へ向かう。豪華な夕食を食べたら、プレイルームで汗をかいて遊び尽くす。(僕はその頃娯楽というものをあまり知らなかったので、プレイルームにある卓球や輪投げ、コンピューターゲームをとても楽しみにしていた。)既に消灯されている廊下を新鮮な気持ちでワクワクしながら歩いて部屋に戻り、そして寝る──。そのような心安らかな空間が、今度は心苦しい現実を浮き彫りにして、僕に一気に襲い掛かってきた。僕はこの調子で残り6年間(中高一貫校だった)やっていけるのだろうか、この辛さを周りに隠し通すことができるのだろうか、と地平線を見ながらボンヤリと考えていた。中途半端な休養は、むしろ対となる疲弊が強調されてしまうことをこのとき初めて知った。やはり、心の持ちようは小学生の頃と何一つ変わらずに、内輪への依存が外界への恐怖を加速させていたのだった。

 しかし、入学当時はこのように心の中で悶々としていた割には、学校生活には段々と慣れていき、生きづらさは次第に解消されていった。小学校と違って、”外界”に自分の居場所を作り上げることが出来ていた。これについては、僕に合う環境を生み出してくれた母校に感謝している。あとでも述べる通り、大学入学時は無理だった。

 

 小学校の頃から臆病だった人間が中高で人と関わることにより様々な弱さを克服していく。そんな王道で真っ直ぐで模範的な人生の展開だったら、僕はわざわざこんな記事を書いていない。

 大きな転換点は中学3年生の夏に訪れた。夏休みが始まったあたりだったろうか、父親が僕にお古のノートパソコンをくれたのだ。僕の心が歪み捻くれ始めたきっかけは恐らくこの出来事にある。(こんなことを父親には言えない。そんな些細なことが親子関係に影響を与えてしまったなんて知ったら、彼はきっと心の底から悔やみ悩み続けるだろう。僕にそこまでの親不孝をする度胸はない。)

 僕は確かにその日まで現実にのみ生きていた。辛いことが起きる外界はもちろん現実だったし、そのときに逃げ場として用意していた家族という内輪も現実の一部だった。そこには一切現実以外の要素は含まれていなかった。狭い狭い世界の中に、生きていた。そんな僕が、パソコンという、広い世界を自由に見ることの出来るメディアを手に入れたらどうなるかは、十分予測できただろう。結局、僕はその夏の一か月、部屋に籠って狂ったようにパソコンを使い続けた。学校が男子校だったこともあって、オタク趣味について毒されやすい環境にあったし、そして自分にはオタク趣味にハマる才能(?)を持っているという自覚もあったことが、その熱狂を更に深くした。まず手始めに“世間で有名になっているオタク動画は大体ここが出所であるらしい”ニコニコ動画を見た。”どうやら世界の情報が全部ここに集まってくるらしい”2ちゃんねるも見た。”よく分からないけどみんな見ているらしい”アニメを見た。”知らないけど有名らしい”オタクコンテンツについてはネットで調べた。呆れるくらいに”神曲の宝庫らしい”ボーカロイド曲や東方曲を聴いた。もちろん、エロサイトも見まくったし、Skypeで学校の友人と徹夜で喋り続けた。Twittermixiなどで無限にイキリ倒していた。僕は世界の中心にいて、そして最も強い人間だった。ありていに言えば、中三にして中二病になっていた。

 そうして、夏の終わるころ、僕の心の形は完全に変わっていた。自意識がパンパンに膨れ上がり(僕はこの表現が大好きで多用する)、「外の世界⇔家族」という対比構造は「自分以外⇔自分(と自分の見ている世界)」に、言い換えれば「現実⇔架空」に完全に移行していた。現実からの最強の逃げ場として、僕の中にある精神世界を作り上げていた。そして、心の変化に呼応するように、生活も変化した。外界の存在となってしまった家族と、上手くコミュニケートできるはずもなく、学校には辛うじてきちんと通っていたが、家に帰ったらすぐに部屋に引き籠って寝て、家族が寝静まった頃にリビングに出て、ラップに包まれた夕飯をレンチンして食って、一晩中パソコンで遊び続ける。その繰り返しだった。完全に引きこもりそのものである。

 でも、皮肉なことに、僕は百倍も千倍も人生が生きやすくなっていた。架空の世界は逃げ場として広すぎて快適すぎた。パンパンに膨れ上がった自意識は、他人である親からの愛情なんかよりも自分の感情や理性の方が確実で信頼性が高いと判断していたのだった。学年が上がるにつれてなぜか学業の成績も上がっていき、そのせいで自己肯定感が自意識をブーストして、更にこの傾向は加速していった。こうして高校を卒業するころには、自意識デブになっていた。

 

 温室育ちの自意識デブが、今度は大学という社会の縮図に放り込まれるとどうなるか、なんて質問に対する答えは決まりきっている。そう、答えは「無理になる」である。大学に入学してから1,2週間で、僕は心がボロボロになった。クラスで、これまで見たことのない種類の人間たちとの交流を迫られて、ヘトヘトになった。サークルの新歓イベントには行く気が起きなかったけど、どうやら新入生はみんなどこかに行くものらしいと思って行ってみると、社交を要求されて、クタクタになった。人生で初めて経験したアルバイトはこれまでで一番社会に近かった。日曜日に研修でゴリゴリに扱かれて、終電に近い電車に乗って家に帰るときは将来に対する不安とかそんな生易しいものではなく、自分の社会的無価値さについてボンヤリと考え続けていた。毎朝混んでいる電車に乗って大学に行って、夜遅くに混んでいる電車に乗って帰る日々を繰り返し、僕は確実に心が壊れ始めていた。中学入学時と比べものにならない壊れようだった。もう昔と違って家族にさえ頼れない自分は、自分自身にしか頼れなかった。家の外でも中でも僕は一人だった。家に帰ってから寝るまでの、なけなしの時間に遊んだゲームが唯一の心の拠り所だった。このとき僕が(僕自身に)要求されていたのはまさに「依存先から離れた外界に独りぼっちで生きていくこと」であり、僕がかつて最も恐れていたことであった。僕は大学生になっても、依存先が家族から架空の世界になっただけで、根幹の部分はやはり小学生の頃からこれっぽっちも変わっていなかった。親離れしているように見せかけておいて、ちっとも親離れなんてしていなかったのである。

 結局、入学してから数週間後になんとか思い切って、大学の近くに一人暮らしを始めた。(「一人暮らしする」と言ったらすぐにさせてくれた親には感謝している。)自分の時間を前よりとれるようになり、「自分以外⇔自分(と自分の見ている世界)」の均衡が元に戻り、精神衛生がはるかに改善した。一人暮らしをしてからは、紆余曲折あって”外界”に居場所を見つけることが出来た。このことだけでも僕は友人に救われたので、とても感謝している。

 心をボロボロにされて自意識がズタズタになってから僕は、現実・架空によらず、様々な人や考え方や出来事を見ては、心の中でグジグジと考えてきて、自己流の哲学(というほどカッコいいものではない、思考原理や行動原理みたいなもの)を分析しつつ修正しつつ編み上げてきた。それが良い方向に向かっていたかどうかは分からないが、少なくとも前よりは世界と仲良く出来ていたような気がする。それでも僕の根幹にはずっと「自分以外⇔自分(と自分の見ている世界)」という軸が存在していた。その軸の中で生き続ける限り、自意識は膨らみ続ける。今度は水面下で上手に誰にも見つからないようにどこまでもどこまでも膨らみ続ける。

 

 そして先週の月曜日。ついにその軸がグラついた。あまりに真摯なマキアの母親としての愛情を見て、僕は心を鷲掴みにされた。他の母子関係も露骨なくらい、努力が、愛情が滲み出ていて、僕は苦しかった。(僕は感情の真摯さは努力によって担保されると考える人間だから、人が苦労に耐えて乗り越えようとする姿には弱い。)辛い現実の中でもエリアルとの美しい記憶に救われて生きるマキアの在り方は、僕の中で最上級の愛の形だった。その母親にありったけの気持ちで、これまで生きてきたことを労われて、見送られる。僕には耐えられなかった。本当に耐え切れなかった。こんなことはずっと諦めてきたことだったから。人は一人で生き続けて、そして一人で死んでいくことを摂理だとして信じ続けてきて耐えてきたから。それなのに、最愛の母によって大往生といった形で看取られるなんて話で殴られたら、僕はもう一たまりもない。更には、人は人生という一枚のヒビオルを完成させるだけでなく、子孫を初めとして他の人間のヒビオルに編み込まれて、死を迎えてもなお残り続ける。神話の存在であり最愛の母であるマキアによって、紡がれる時の中で愛され続ける、なんて話でドロップキックされたら、僕はもうズタボロの残骸の塵芥になってしまう。自分以外の視点で物を見ることが苦手で、僕の人生は僕だけのもので、やはり自分の死が世界の終焉であり、人は孤独に生きて死んでそれでおしまい、だとずっと信じてきた僕にとって、これは完全に福音だった。マキアとエリアルの関係に限らず、これまた露骨なくらいに、「誰かが生まれ、誰かが生きて、誰かが死ぬことによって歴史が紡がれていく」という死生観が描かれていた。この死生観を強調しすぎると、人生というものがとかく軽いものになってしまいがちだが、この作品は人生の重みを損なわずに見事に歴史の一部としての人生を完成させていた。

 つまり、「母親の底無しの愛情」「他人による、人生の内側からの肯定」「人生の外側からの肯定」にボコボコにされて、僕を貫いていた「自分以外⇔自分」という軸がブレまくった。(こんな要素にまで還元されてしまったテーマでは何も伝わらないのがもどかしいし悔しい。)他人からの愛情、他人による肯定、他人の意識の中にも自分がいること……僕は全部全部「自分以外は信用できない」という理由だけで堅く理論武装して必死に信じてこなかったのに、さよ朝によって鉄壁を破られて僕の心はグシャリと刺された。

 それだけでも僕にとって衝撃だったが、最も僕の心を辛くしたのは、おそらく「親離れ」と「子離れ」というテーマだろう。マキアは朝日に照らされる池の上でエリアルに別れを告げることで子離れをして、エリアルはディタと子供に愛を告げることで親離れをする。レイリアとメドメルはお互いの姿を求め合い、そして長年の時を経てついに屋上での邂逅を以て親離れと子離れをする。キャラクター同士の関係はもちろんこれだけではないが、環境とキャラクターというある種の親子関係にも目を向ける必要がある。マキアとレイリアはレナトとともに、非神話世界というしがらみから離れると同時に、神話世界における慣習(「外に出たら誰も愛してはいけない」)という「親」的存在からも脱却した。一方、クリムはついに慣習から親離れすることが出来ずに、非神話世界の中で息を引き取るのだった。

 前の記事にも書いたように、僕は完全にこの作品に心の奥底から没頭し、マキアという母親に依存していた。架空の存在であるマキアに届かないことを嘆くだけでも心がいっぱいいっぱいだったのに、そのマキアから子離れ宣言・親離れ勧告を受け(たような気になって)、更に手の届かない存在になっていくのだった。言うなれば、これは疑似的な「母親の死」だった。僕は「依存先から離れた外界に独りぼっちで生きていくこと」が恐ろしかった。だから、依存先を家族や自分の精神世界に求めて生きてきた。いつまでもいつまでも親離れしてこなかった。「外界で誰かの依存先となって(誰かのために)生きていくこと」など考えてもこなかった。そんな心構えも持たずにヌクヌクと生きてきた僕が、依存先である(僕の心の中にいる)マキアから別れを告げられたらどうなるか。

 僕は、苦しんだ。「自分以外⇔自分」という軸どころではなく、「何かに依存する」という土台さえも揺さぶられた。これまでの人生の前提がガラガラドシドシと崩れ落ちていく中、僕は立ち尽くしていた。このままハリボテの土台と軸で生きていくのか、それとも新しい何かを作り上げていくのか、そんな岐路に立たされていたのだった。今では崩壊のショック自体からは立ち直ったものの、僕はまだ分かれ道の前に佇んでいる。

 しかし、感情はまた日常の中で鈍麻していく。かつてはあれほど真摯に思い悩んでいたのに、僕はどちらの道も選ばずに呑気に生きている。それでもふとした瞬間に、マキアとエリアルの姿を、青空に、朝日に、草原に、道行く母子に、パンに、タオルケットに、飲食店に、挨拶に追い求めては胸を締め付けられる。その度に親離れしていない自分を再発見してそれを詰って精神が摩耗していく。

 どうやったら人は変わることが出来るのか、について考えるとき、現実は物語ではないことを強く実感する。僕は今、物語ではなく現実に生きているのだと気付かされる。

 

 オチはない。過去の清算も未来への展望もない。ただ自覚だけが芽生えつつある。