墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

「シークヮーサー」以外に小さいワを見た事が無い

この前沖縄に行ってきた。沖縄は数年前に家族旅行で行って以来二度目。でもあのときはホテルの部屋に籠ってDSで太鼓の達人をやった記憶しかないので、精神的には初めての沖縄だった。

 

那覇空港に降り立った翌日、美ら海水族館に行ってきた。

水族館の目玉っぽいでかい水槽にでかいサメがいた。「サメやエイは体内の窒素を尿素じゃなくてアンモニアで出すから刺身をそのまま食べると凄くアンモニア臭いんだよ」と最近知った蘊蓄を垂らしていたら、周りはみんな知っていたので恥ずかしかった。

他はチンアナゴが印象的だった。穴から顔を出して直立不動の姿勢をとり、流れてくるプランクトンを受動的に口に入れて栄養源にする事で生きているらしい。たまに穴を移動するらしい。それで人生、いやアナゴ生は楽しいのだろうか。

でかい水槽の前で「こいつらは何を目的に生きているのだろう」と考えてしまった。勿論繁殖が目的なのだろうが、それは種全体の目的であり個体の目的ではない。個体の目的としての生存も、所詮は生き延びて繁殖する事の手段に過ぎない。

ここまで来て「あぁこいつらは自我という意識が無いから、個体本位の生き方が出来ないのだ」と悟った。その瞬間、魚たちが愛おしく思えてきた。あとは自我の無い状態で理性や知性を持てば、僕の望む最高の生命状態となる。

帰り際にお土産屋さんででかいサメのでかいぬいぐるみを買った。部屋に帰ってから「お前も自我が無いから好きだよ」と思いながら抱き締めた。

 

次の日、首里城の近くのアイスクリーム屋さん(ブルーシールというブランドが沖縄では有名)でアイスを食べようとしたら、売り子のおばあさんに話し掛けられた。沖縄の歴史と自分の意見をごちゃ混ぜにした話だったので、途中から聞く気が無くなって愛想笑いしながら適当に頷いていた。

アイスを売ってる人がアイスを不味くしてどうするんだ。

こういう風に地道に語っていく事で現代社会を変えていきたいと思う心意気は評価されるべきだが、単純に僕は嫌いだった。嫌いというよりも醜くて哀れな生き方だと思った。

 

全体的に自分の歪みを感じる沖縄旅行だった。でも楽しかったのでOK。そういうものだ。