墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

線を引いて、点を取って、線を消す

時計仕掛けのレイライン -朝霧に散る花-』をプレイした。「時計仕掛けのレイライン」シリーズは三部作構成で、本作はその最終作に相当する。
ネット上の評価も周囲の評価も高めであったので前々から期待していたのだが、期待通りかそれ以上に楽しめた。
三部作構成として売り出すと、巷では「未完成商法」と揶揄される事が多い。だが、本シリーズについては、一作一作にきちんとオチがついているだけでなく、三作目の伏線が一作目から配置してあるなど、予め完成したシナリオが用意してある状態で三部作としている事が窺えるので、「未完成商法」という誹りは些か行き過ぎであるかと思う。

作品の内容を具体的に説明したり、ネタバレするつもりは無い。
今回は、プレイ中に考えていた(正確に言うと日頃より考えていたが、プレイ中に考え直していた)伏線についての雑感を少し書く。

作品の褒め言葉として「伏線がすごい」というものがあるが、どういうときに一番「すごい」と感じるのだろうか。
これは個人的な意見だが、「作品中で直接は明らかにされていないような伏線を自力で回収する」ときに一番「すごい」と感じるのではないか。つまり、「実はここはこういう伏線でした〜」「すごーい」よりも「あれ実はここはこういう伏線なんじゃね?すごーい!」の方が心に残りやすい。
結局のところ、他人に教えられて気付くよりも自分で気付く方がカタルシスによる喜びは大きいのである。

上手い物語の条件として「描き過ぎてはいけない」というものがある。連続的に情報が入り続ける現実とは異なり、作品においては事柄が断片断片で提供される。その断片同士をどのように繋ぎ合わせていくかは鑑賞する側に委ねられる。
同じ話を描こうと思っても、その描き方、つまりは断片の作り方によって、作品の評価は変わってくるのだ。
例えば、断片を大きく作りすぎると、描かない方が良い事まで詳細に描いてしまい、「興醒め」「無粋」といった評価を受ける。一方、断片を小さく作りすぎると、断片断片を(納得の行くような形で)繋ぎ合わせる事が出来なくなり、「構成力不足」「丸投げ」といった評価を受ける。
しかし、断片の作り方が上手い作品は、断片を繋ぎ合わせる楽しさを適度に供給してくれる。「あ、この場面の次にこの場面を挟んでくるってことは、この幕間にこんな事が起きてたんだろうな〜クスッ」みたいな。
いわゆる芸術作品は、断片の小さいものが多い(というか断片が一つしかないものもある)ので、上のような基準で一概に善し悪しを決めることは出来ないが、少なくともエンターテイメントを目的としたような大衆向けの作品においてはこの「断片の作り方の上手さ」という基準は有用だと考える。

伏線とは、「点」同士を繋ぐ「線」を伏せる事から来ているのだろう。「点」とは断片となる事柄、「線」とはその間を繋ぐ事柄である。
こう考えると、前半で挙げたような「伏線」と後半で挙げたような「断片の作り方」は本質的に同じであり、その差はただ「点と点がすぐ結べるか否か」でしかないように思えてくる。
また、両者の巧みさの基準もただ「作者がわざわざ明言せずとも、鑑賞する側が自ずから分かってくれるかどうか」に尽きるのではないか。
これは前半の方で述べた「他人に教えられて気付くより自分で気付く方が嬉しい」という話にも繋がる。

点同士を上手く配置する(伏線を作り込む)のも重要だが、補助線を適度に引く(伏線を適度に回収する)のも同じくらい重要だと感じた。
まぁそもそも前者すら満たしていないものが(少なくともエロゲーの中では)大半なんだけどね。

以上です。