墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

メビウスの輪の上で

「あの時の自分は結構良かった」と「あの時こうすりゃ良かった」はまったく矛盾しない。悔しくなるほどに矛盾せずに、感情だけが勝手に和解してお互いに手を組んで、今度は自分のことを襲ってくる。実際は完璧を目指すだけの根気も度胸も機会もないにもかか…

図書館での一日

図書館にいる。大学の、でっかい、図書館にいる。この図書館に、いかほどの歴史があるのか判然とは分からないが、無駄に構造が入り組んで、贅沢な敷地の遣い方をしていて、高い天井を見上げても長い壁を眺めても、素人目にも分かるくらいの意匠がこらされて…

作品語りと自分語り

読解も解題も中途半端な、あまり他人想いではない、専ら自分のための感想文を三つと、ぼやきを一つ。 ・『居酒屋』(新潮文庫、著:エミール・ゾラ、訳:古賀照一) 文学史的には自然主義文学を日本に齎し、田山花袋や島崎藤村あたりを通じて文壇に多大な影響…

本心の耐えられない軽さ

「お前、最近勝手に喋りすぎじゃないか」自問自答の囁きはゼロ距離で訪れる。 僕の頭の中は元来結構お喋りで、というのもガチャコンと自他の言動を刻んでは体系という抽斗に詰め込むための質疑応答を繰り返すからなのだが、ある日気付いたのは、これはいわゆ…

自我的対称性の破れ

鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。そう妃が鏡に問いかけると、鏡は答える。世界で一番美しいのは貴方です。妃はその答えに満足する。白雪姫が成長して美しくなったある日、再び妃は問いかける。鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。すると、鏡はこう答えた。世…

語り部の永遠の不在

ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りかこまれて生きており、自分に起こるすべ…

コミュ省というものぐさ病

人生観という厳めしい名をつけて然るべきものを、もし彼がもっているとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であった。微笑して過ぎる事であった。何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて…

墓の中にて死を綴る

回想 たまたまとある法医学教室で一ヶ月間司法解剖やら行政解剖やらのお手伝いをさせてもらったときの話。 朝、解剖室に入ると、死体がある。特に何も感じない。今日はちょっと臭いなぁと思いながらも四肢を捌き胸と腹をかっさき脳を取り出す。臓器のことだ…

あるオタクの進展告白

今晩、というかつい数時間前、十年ぶりに生家を訪れてきた。 生家、というのは少し誇張かもしれないが、僕が物心ついたときには既に暮らしていた場所で、十年前に今の実家に引っ越すまで長らく住んでいた場所で、そしてきちんと家族の一員として生きていた思…

あるオタクの心裡告白

本当は本当に、生きているのが耐えがたかった。ある日劇場で映画を見てから、生きる意味を見失って、生きていく気が段々と薄れていって、積極的に死にたいとは思わなかったが、仮に今自分の目の前に死があったとしてもそれはそれで楽だし構わないと思ってし…

あるオタクの信仰告白

一昨々日。「さよ朝見てきた」という言葉を何度か目にして、見た人のメンツ的に多分アニメ映画なんだろうなそういえば2月上旬くらいに広告を見かけたっけと思いながら、検索エンジンに文字列を打ち込む。正式名称は「さよならの朝に約束の花をかざろう」らし…

はじめに言葉ありき 言葉は形と共にあり 言葉は形であった

人はみな、無意識のうちに自分の”形式”に依存して生きている。それは例えば、学歴・資格・業績といった社会的地位であったり、よりミクロなレベルでは契約関係・交友関係・親族関係・婚姻関係であったりする。「自分はかつて〇〇大を卒業して□□を成し遂げた…

僻地の聖地で孤独に功徳

今日、栃木県は栃木市の岩舟町に行ってきた。岩舟町は新海誠が監督した作品『秒速5センチメートル』の第一話「桜花抄」における舞台、つまり"聖地"と呼ばれる場である。 何か旅に出る端緒があったのかと改めて自分に問うてみても判然としない。登場人物が見…

憂さ晴らしに書き散らし

最近うわべの事しか考えていない。考えられない。何か考えそうになると勝手に脳がそれを自動的に拒否する。してくれる。僕はこのままでいいのか。このままだとどうなるのか。僕は何のためにここにいるのか。僕は何をしているのか。僕は何をすべきだったのか…

好きなものは好き、という話

僕は『エロマンガ先生』の山田エルフ先生が好きだ。裸でピアノを弾いてる山田エルフ先生が好きだ。メイド姿で和泉マサムネを出迎える山田エルフ先生が好きだ。和泉マサムネを叱咤激励する山田エルフ先生が好きだ。浴衣姿で夏祭りに行く山田エルフ先生が好き…

僕も君も誰も天使じゃないよ

『僕は天使じゃないよ』というノベルゲームをプレイした。知り合いに「頼むからやってくれ頼む」とオススメされたので、よーしおじさん期待しちゃうぞと意気込んでプレイした。 ジャンルは懐古調SMノベル。中々ド直球で良い。近所に「和 日本料理 本場四川上…

人間という多面体

「なにもかも真実さ。これまでにあらゆる人間の考えたなにもかもが真実なんだ」 ─フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(浅倉久志・訳) 中学か高校のことかもう忘れてしまったが、森達也の「真実はひとつじゃない」という評論を…

散るゆゑによりて、咲く頃あり

冬が終わり、春がやってきた。 春がやってくると、否が応でも時は過ぎていくのだと、考えてみれば当たり前のことに思い当たる。しかし、過ぎていくのは時だけではない。人も関係も出来事も何もかもをひっくるめた風景が通り過ぎ、背後に広がる。どちらにせよ…

虐待児と実存主義

皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった。 ─村田沙耶香『コンビニ人間』 昔テレビで児童虐待を扱った特番を何度か見た。”正義”による憤怒や”愛”による憐憫がそこにはあ…

ゲームを好きになりました 日記を書きました 物語がひろがりました

……あゝ!あゝ! どうしてお前はあたしを見なかつたのだい、ヨカナーン? 一目でいゝ、あたしを見てくれさへしたら、きつといとしう思うてくれたらうに。さうとも、さうに決まつてゐる、恋の測りがたさにくらべれば、死の測りがたさなど、なにほどのことでも…

年の瀬が浅瀬でありますように

思えば早いもので、思わなくとも早いもので、2016年も残すは一週間となってしまった。 僕にとってどうやらクリスマスイブとは愛人や家族との絆を再確認するイベントではなく、今年の短さを再確認するイベントでしかないらしい。 12月は色々とゴタゴタしてい…

救済とは神に騙されることである

白鳥は死に臨んで歌うと言われている。 白鳥が売りに出ているのを見つけた男が、最高に歌の上手な生物だと聞いて、これを買った。そして宴会に人を招いた時、白鳥の所へ行って、飲んでいる横で歌を歌ってくれと頼んだ。白鳥はこの時は黙っていたが、後に死が…

Memoria is lost. Nostalgia will last.

8がつ4にち てんき:はれ 今日は朝から友だちといっしょにこうえんであそんだ。虫をとったりサッカーをしたりした。とても楽しかった。昼はソーメンをたべた。つかれたのでひるねした。お父さんがショッピングモールにつれていってくれた。外はとてもあつ…

紙の表と裏は紙一重

人生を幸福にする為には?ーーしかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目…

二ヶ月坊主

随分とご無沙汰していたので、近況でもゴリゴリ書くことにする。 一つ目。9月23日にAUGUSTから『千の刃濤、桃花染の皇姫』が発売された。FDを除き同ブランド前々作である『穢翼のユースティア』がとても面白く、製作陣もそれとほぼ同じだったということもあ…

勧己懲己

人間は善悪が明確に区別できる世界を願う。というのも、理解する前に判断したいという卸しがたい生得の欲望が心にあるからだ。この欲望の上に諸々の宗教やイデオロギーが基づいている。 ーミラン・クンデラ『小説の技法』(西永良成・訳) ──────────────── 勧…

語りえぬものについては、語りえぬと正直に語らなければならない

最近『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』(略称:すばひび)というノベルゲームをやった。某批評サイトでは「インテリなエロゲー」というタグが多数付けられ、そして「哲学ゲー」と謳われている。 オタクは基本的に逆張り(主流に逆らうこと)が行動指針なので、次…

はい!夏の休みが終わってs、しまったのですが!

夏休みの終わりがこの人生の終わりだと散々嘯いていたが、いざ本当に夏休みが終わると「うわ〜死ぬ」と呻きながらのうのうと生きている。人間の適応能力は高い。 だが学生とは良い身分で、いまだに夏休み気分が抜けていない。というかいまだに夏休みが続いて…

8月32日

今日は起きるタイミングを間違えた所為で、昼飯を食べるタイミングを間違えて、それに伴い夕飯を食べるタイミングも間違えた。多分明日も起きるタイミングを間違えるのだろう。 22時を過ぎると大体の食事処が閉まってしまうので、夕飯はスーパーで何か買おう…

明日出来る事は大体今日出来る

「未来の事は深く考えない」を実践すべく、休み明けの試験と向き合わずに京都に行ってきた。ミクロなレベルでもそのスローガンを実践すべく、その日の予定はその日起きてから決めた。 うわ言のように「明日出来る事は今日しない……明日出来る事を今日してはい…