墓の中

穴は真珠貝 標に星の破片 傍には百年の待ち人

さよならは昔日のために

別れというものはおおむね緩慢に訪れる。在りし日々を思い返すことによってはじめて、ああ私たちは既に別れていたんだ、ということを知る。そして、いつ別れがあったのかは、誰も知らない。みずからを努めて現実世界へ投企しようとはせず、ただ受動的に生活…

あっちでこっちでにっちもさっちも

日中、下手に寝てしまわないように買い置きのコーヒーをガブガブ飲むと、その反動として、訳もわからず、いやカフェインの副作用なんだろうなと「訳」については予測はつくが、無性に心もとなくなったり、かと思うと数分後には突然意欲がふつふつと湧き出て…

黄昏時

あれもこれもやろうとしてウキウキしていたのに、結局最初に思い付いたものの序盤にしか着手できなかった休日の夕方。生暖かな眩しさが怠惰な午睡を覚ます。部屋の内へささやかに差し込む西日の、その正体である夕陽を訳もなく目に焼き付けようと外に出る。…

極めて個人的な経験

あれほど劇的な出来事だったのに、いったん文章に整えてしまうと軽々しい絵空事になってしまう個人的経験、といったものには悩まされることが多い。それは、自分の力不足であったり、そもそも言語表現としての限界であったり、無意識のうちに事実が大仰な物…

或阿呆の一興

「全力ごっこ?」 「そう。全力ごっこ。あなた、全力を羨ましいと思ってるでしょ」 「きっと全力は気持ちがいいからね」 「でも、全力で生きるのは疲れるから全力ごっこで誤魔化すと」 「疲れる、というのは少し違うかな。なんていうんだろう、単にやり切る…

奔念観逸

助からないなぁ ということばがふと頭に浮かんで、やつれかけの自分に気付いた。 いつもなら、こいつはもう救いようがない、と三人称から自分を眺めていたのに、今日はぽろっと一人称視点が出た。 帰りたい、という願いが先にあって、でもどこに?という指摘…

井の蛙は青い芝の夢を見るか

隣の芝は青い。 この諺の意図は、単純に「人は常に他人を羨ましく思ってしまうものだから、あまり他人と比べても心が波打つだけで幸せにはならない」という個人主義的人生論におさまらず、「自分の手の届かないものにこそほんとうの美しさが潜んでいる」とい…

ふたことみこと

ひとこと、と呼ぶには長すぎるため。 四月の前半は生きるのに精いっぱいで、最低限の生活しか出来なかったけれど、後半に至ってようやく、なにかを生活に上乗せできるようになった。桜の木は気付くと青葉だけになっていた。朝の冷たさに身を縮めることはなく…

平均台を歩む

お浪は女心の、訳もなく空怖ろしい気がして、暫くは思わずその眼を閉じたけれど、しかし胸の中には忽ち堪えがたき憂愁の念が、簇々として叢り湧いて来た。この憂き悩みは真にお浪が身体の奥底から起って来たものといわねばなるまい。これまで、お浪は自分が…

走馬燈

モノ自体に意味はない、と言い訳してモノを捨てる。わざと粗雑にゴミ袋へ放り込まれたモノは燃えるゴミとなって二度と戻らない。ぼくは呪文のように言い訳を繰り返す。モノ自体に意味がなくとも、モノは思い出を、歴史を、その意味を呼び起こす縁になるとい…

遅刻した日の昼

母と姉の死刑が執行される日、私は駅のホームに立っていた。 右隣には母が、その数歩先を一人で姉が歩いていた。二人の顔は見えない。薄暗いホームはおそらく地元の駅で、周囲に人はいない。隙間(何の?)から微かに昼下がりの日光が射しこむ。死刑は今日(…

さよならスポンジくん

先日、流し台の片隅にて、この部屋最初で最後、唯一無二のスポンジが、無残にもカビだらけの姿で転がっているのを見つけました。ぼくはすぐに次のことに気付きます。これでは、どんなに皿を洗いたくても、この部屋に残されたスポンジはもうない以上、皿を洗…

年の終わりと終わらぬ時と

また一年が終わります。流るる季節はその残り香だけを心に染み付かせて僕の上を通り過ぎてゆきます。宝石のような寒空に凍えた手が陽気な春一番に芯まで溶かされて、眩しさの下で滴り落ちる汗の粒は色づく葉の上に朝露を落とし、そしてまた──。 ぼくは自分が…

白昼夢

十数時間寝た。ときおり何回か連絡を返したりしたという記憶はあって、それがいつだかぼんやりと溶けていく。昨日の夜、いつどのように蒲団にもぐりこんだのか、とか、何かやらないといけないことがあったような、とか、さっきみたはずの夢と同じように流れ…

血の軛

父は僕を偏愛した。末っ子として、三度目ではじめて得た同性の子として、そしておそらくは教育に成功した子として。父は人格者だったから、傍観者が一瞥するだけでは周囲への愛情の降り注ぎ方と僕に対するそれとの間で見分けがつかなかったかもしれない。し…

人生、一瞬の夢、ゴム風船

ふと気が付くと自分が生きているということを忘れて生きている。自らの生に気付かずに過ごす生が一番幸せな、もしくはこの曖昧な言葉をより具体的に言い換えればもっとも心の安定した状態であるということは、おそらく誰もが勘付いている。空気の存在や呼吸…

夢と現のアポリア

季節の変わり目だからか、衰えた体力のせいか、定かではないが、生活的には全く寝不足でないときに夕方とつぜん眠くなって、そのまま睡魔に身を委ねてしまうことがよくある。日本では毎日毎日季節が曖昧に変わりゆくようなものだから、おそらくこのへなちょ…

すばひび日記3:語りきれぬものを語りつづける

この記事は前回の記事の続き。 予鈴 再び幕を開ける本鈴の鳴り響く前に一つお喋りを済ませておこう。 先日、前回までの記事を読んでくれた聡明な友人から「記事の方向性が少し不鮮明かも」という指摘を得た。再度フレッシュな視点で初めから読み返してみると…

すばひび日記2:語られざるべきものを語りあかす

この記事は前回の記事の続き。 再開 第一章では登場人物たちの目を通じて「世界」を見て、そして心を通じてその向き合い方を了解してきた(ということにしておく)が、第二章、第三章ではより感性的な概念である「幸福」、「素晴らしき日々」を感じ取っていき…

すばひび日記1:語りえなかったものを語りなおす

謝辞 元々この場は自分のこころを書き留める為の備忘録であったはずなのに、今となっては筆不精もあり色鮮やかなイメージが身体中から奈落へとぽろぽろ零れ落ちていくのをアーと口を開けながら眺めるばかり。思えば、近頃はネクラなオタクの反省会を実況中継…

八月十日

群れた大衆の蒸れた体臭が黄褐色の霧となって鼻腔に粘りつく。突き抜ける晴天の中心を飾る白い業火は燦燦と輝き、オタク達の頭蓋を中身ともども焦がし尽す。ここは真夏の東京ビッグサイト西ホール4階、第94回コミックマーケットの企業ブース、物欲と優越欲…

メビウスの輪の上で

「あの時の自分は結構良かった」と「あの時こうすりゃ良かった」はまったく矛盾しない。悔しくなるほどに矛盾せずに、感情だけが勝手に和解してお互いに手を組んで、今度は自分のことを襲ってくる。実際は完璧を目指すだけの根気も度胸も機会もないにもかか…

図書館での一日

図書館にいる。大学の、でっかい、図書館にいる。この図書館に、いかほどの歴史があるのか判然とは分からないが、無駄に構造が入り組んで、贅沢な敷地の遣い方をしていて、高い天井を見上げても長い壁を眺めても、素人目にも分かるくらいの意匠がこらされて…

作品語りと自分語り

読解も解題も中途半端な、あまり他人想いではない、専ら自分のための感想文を三つと、ぼやきを一つ。 ・『居酒屋』(新潮文庫、著:エミール・ゾラ、訳:古賀照一) 文学史的には自然主義文学を日本に齎し、田山花袋や島崎藤村あたりを通じて文壇に多大な影響…

本心の耐えられない軽さ

「お前、最近勝手に喋りすぎじゃないか」自問自答の囁きはゼロ距離で訪れる。 僕の頭の中は元来結構お喋りで、というのもガチャコンと自他の言動を刻んでは体系という抽斗に詰め込むための質疑応答を繰り返すからなのだが、ある日気付いたのは、これはいわゆ…

自我的対称性の破れ

鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。そう妃が鏡に問いかけると、鏡は答える。世界で一番美しいのは貴方です。妃はその答えに満足する。白雪姫が成長して美しくなったある日、再び妃は問いかける。鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰。すると、鏡はこう答えた。世…

語り部の永遠の不在

ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りかこまれて生きており、自分に起こるすべ…

コミュ省というものぐさ病

人生観という厳めしい名をつけて然るべきものを、もし彼がもっているとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であった。微笑して過ぎる事であった。何にも執着しない事であった。呑気に、ずぼらに、淡泊に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて…

墓の中にて死を綴る

回想 たまたまとある法医学教室で一ヶ月間司法解剖やら行政解剖やらのお手伝いをさせてもらったときの話。 朝、解剖室に入ると、死体がある。特に何も感じない。今日はちょっと臭いなぁと思いながらも四肢を捌き胸と腹をかっさき脳を取り出す。臓器のことだ…

あるオタクの進展告白

今晩、というかつい数時間前、十年ぶりに生家を訪れてきた。 生家、というのは少し誇張かもしれないが、僕が物心ついたときには既に暮らしていた場所で、十年前に今の実家に引っ越すまで長らく住んでいた場所で、そしてきちんと家族の一員として生きていた思…