墓の中

やりたいことはやりたくないことをやらないこと

八月十日

群れた大衆の蒸れた体臭が黄褐色の霧となって鼻腔に粘りつく。突き抜ける晴天の中心を飾る白い業火は燦燦と輝き、オタク達の頭蓋を中身ともども焦がし尽す。ここは真夏の東京ビッグサイト西ホール4階、第94回コミックマーケットの企業ブース、物欲と優越欲と達成欲と顕示欲と承認欲の即売会。

会場内秩序化の帰結として人権を完全に無視した待機列外部隔離政策が行われ、大人気ブースに挑むオタクは漏れなく屋根が天蓋で出来た会場外という特別会場へと招待される。スタッフはテトリスで遊ぶように領域内オタク敷き詰め問題の最適化を始めて、そのテトリスのゲームオーバーを合図に列形成は中止されて難民が発生する。一方、オタクは列の最後尾に吸収されたが最後、余生は周囲に誘導されるが侭に直立して過ごすことになる。壁際にある一二列だけが、辛うじて出来上がった日陰を享受して、束の間の涼しさを味わい、運悪く日向に配置された大多数のオタクは微かにそよぐ海風の到来を祈り続ける。

そんな風に自然を恨みながら自然を望むオタクの一人に僕がいた。待機列の構成要素として、確かに汗が噴き出るという表現は中々言い得て妙だと納得しながら、タオルと団扇と制汗スプレーで生命を細々と繋いでいた。しかし、慣れない早起きのせいか、それとも慣れない熱気のせいか、はたまた慣れない雰囲気のせいか、恐らく全てのせいで意識の清明度が次第に芳しくなくなっていた。何とか知的生命体としての矜持を保とうと詰将棋を解いていたが、五手詰めから七手詰めになった瞬間に脳内CPUの使用率が100%になり、それ以降ただ前進するだけの半植物状態へと移行した。朝顔が夜明けになったら咲くように、向日葵が日に向かって咲くように、僕は前の人が動いたら前に向かって歩いた。

 

そのまま無の時間の中で油断していた事が、恐らく最大の原因なのだと今となっては思う。待機列はオタク敷き詰め最適化の結果としてパイ生地のように折り畳まれていたから、並び歩んでいるだけで人とすれ違い続ける。面を上げていれば、嫌でも他人の顔とご対面するという設計だった。嫌と言いながらも他人の容貌を具に観察してしまうのは、それを除きする事も出来る事も無かったからとしか言いようがない。だって人は本当に何もしないくらいだったら嫌な事だとしても何か刺激を望むものでしょう?

僕はそのファッションショーを愉しみ始めており、「イケメン」「普通」「うわぁ」くらいの大雑把な直感的判決を流れ作業で下していた。ただ、根本が人間に甘いヒューマニストであるので、人格とは遥か隔絶した領域として容姿を批評しているつもりだった。実際にどんなに視覚や嗅覚を刺激する人が来ても「うわぁ」未満の感想を持たなかったことを踏まえれば、これは単なる自己弁護に終始するものではないだろう。

雑多に過ぎ去る顔とコンマ数秒の邂逅を繰り返していたとき、或る男性とすれ違った。その男性は恐らく平均的な顔貌をしていて平均的な背格好をしていた。「普通」という評価を下して次のモデルに目を向けようとしたその瞬間だった。待ち望んでいた海風が吹きつけた。彼のTシャツの襟が大きくはためいた。彼の後頚部が視界に露わに飛び込んできた。

そこに径5㎝程度の浅黒く不格好な葡萄の房の実りを見た。

 

それは咄嗟の拒絶だった。一切の皮膚疾患は人格を貶める理由にならないと脳髄が理性の箍を創るには全然足りなく、赤裸々の本能が俎上に載せられるには十分に長い一瞬、魂が絶叫した。嗚呼 “あれ” から茶色い蛆虫が皮を食い破って蠢き出てくる前に早くこの手で収穫してしまいたい、 “あれ” を捥ぎり取って腐敗臭の漂う膿汁を皆吸い出すことが出来たら如何なる快楽だろう、醜い物は須らく現世より即刻排除すべきであり “あれ” はその筆頭だ嗚呼卑しい悍ましい穢らわしい。不潔に対する嫌悪が、人間が知恵を賦与された以後の産物だとすれば、それは生物学的に刻み込まれた感情、いや感情以前の原始的反応、「おぞましさ」という神秘であった。

列の蠕動が治まるまでの数秒間のうちに、本能を再び飼い馴らした僕はもう彼の顔を忘れていた。見知らぬ人の、顔さえ分からぬ人の、再び対面しようとも “あれ” を持った人だと識別する手掛かりさえ持たぬ人の、皮膚の不規則な隆起だけを僕は覚えていた。いや、はっきりと覚えていたのは「おぞましさ」だけで、それを具体と紐付けるための象徴として曖昧にあの歪んだ醜い果実を捉えていたのかもしれない。こうして、受け取る側には決して認知されない後ろめたさだけが行き場もなく残った。

結局、人の本質はその心の在り方に在り、個人を識別する記号に過ぎぬ外見によって人を判断するのは理性的生物である人類の敗北に他ならない、という一種の信仰は木端微塵に打ち砕かれ、死の恐怖に呑まれて蹠でキリストの磔像に触れてしまった切支丹さながら、自身の脆弱な信仰心の残骸と見つめ合うのだった。

 

あれから数日後、冷房の効いた部屋で外界の暑さを忘れて頁を捲っていると、ふとあの時の記憶が芋蔓式に呼び起こされたので、反省の残滓を確認できるうちに書き下しておく。

 

「しかし、外観よりも、内容を尊重するのは、べつにおかしな事でもないでしょう……」

「容れ物のない、中身を、尊重することがですか?……信用しませんね……私は、人間の魂は、皮膚に宿っているのだとかたく信じていますよ。」

「むろん、譬喩としてなら……」

「譬喩なんかじゃない……」おだやかながら、断定的な口調で、「人間の魂は、皮膚にある……文字どおり、そう確信しています。戦争中、軍医として従軍したときに得た、切実な体験なんですよ。戦場では、手足をもぎとられたり、顔をめちゃくちゃに砕かれたりするのは、日常茶飯事でした。ところが、傷ついた兵隊たちにとって、何がいちばんの関心事だったと思います?命のことでもない、機能の恢復のことでもない、何よりもまず外見が元通りになるかどうかということだったのです。」

 

安部公房『他人の顔』

 

ちなみに、欲しい物はちゃんと買えた。